2024年5月27日

第一部 ミニ世界システム

序論 氏族社会への移行

柄谷は、遊動狩猟採集民から定住狩猟採集民への移行に、社会構成体の歴史における大きな飛躍を見出す。第一部で論じるのはこの問題である。種族社会の前にあった遊動的バンド社会のありようは、現存する漂泊的バンド社会(ブッシュマンのような社会は昔からあるのではなく、他部族に追われてから砂漠に移行したので、原始社会のモデルにはならないが)から推測するしかない。そこでは、食料の共同寄託(平等な分配)と共同での狩猟が行われた。親族組織とは限らない。このバンドを超える上位組織はない。

 氏族社会は系譜にもつづき、複雑に構成され、成層化された社会である。氏族社会では初期的な農業・牧畜が行われており、首長制のような政治的組織があった。ここには国家に発展する要素があった。定住とともに生産物の「備蓄」が可能となった。人類学者アラン・テスタールは、ここに「人間不平等の起源」を見た。柄谷はこの見方に賛成するものの、より重要なのは備蓄から生じる不平等が階級社会や国家に帰結しなかったこと、とする。この不平等を抑制し、国家の発生を抑制するシステムは、氏族社会の「互酬制」だとする。その意味で、氏族社会は未開社会ではなく、高度な社会システムと言うべきである。

 

第一章 定住革命

1.共同寄託と互酬

ルイス・ヘンリー・モーガンは、家族性経済のもくろみを、「生きているコミュニズム」とよんだという。つまり、「各人はその能力に応じて働き、各人(老人、子供でも)はその必要に応じて生産物をとる」のである。この共同寄託によって家族性の輪が完了する。次に、氏族社会における共同寄託には互酬性の原理が入っている。互酬には、家族内の純粋贈与的なものから、敵対性(否定的)互酬まであり。贈与の互酬は本来敵対的集団の間に有効的関係を作り出し、互酬共同体を拡大する原理となる。

2.交易と戦争

氏族社会で、外部に対する関係としての互酬性をみると、氏族間の経済的交換が可能なのは、それより上位の集団にお互いが属しているか、相互に友好的な関係がある場合に限られる。どちらの場合も贈与によって作り出される。マリノフスキーの「西太平洋の遠洋航海者」にあるトロブリアンド諸島の「クラ交易」が相当する。クラとしは、閉じた環をなす島々のおおきな圏内に住む多くの氏族共同体の間で行われる交換様式である。クラは、ギムワリと称する「有用品の単純な経済的交換」とは違い、ヴァイグアという貨幣の一種のやりとりである。人々がこれを贈与されると、外に贈与する義務が生じる。ヴァイグアが島々を巡回し、ふだん孤立していた各島の人々の間に社交的な関係が確認される。この非経済的な贈与の結果、必要物質の交換がなされる。

 レヴィ・ストロースは贈与によって、共同体間の平和的関係が作り出され、それに失敗すると戦争になると考えた。ピエール・クラストルはこの見方を否定した。初期の民俗学的記録は、未開社会の部族(氏族)は極めて好戦的であったことを示しているという。外部とのまったく接触がなかったアマゾン奥地のヤノマミ族がたえず戦争をしていた。交易(贈与)は戦争のための同盟を作るためになされた。しかし、ヤノマミ族に見出す戦争は、一つの高次共同体の内部の戦争で、レヴィ・ストロースのいうのは高次共同体の外部との出会いについてである。したがって、柄谷は、部族共同体の中での戦争は互酬原理の否定にはならず、それ自体が互酬的だという。このような戦争は相手を殲滅する場合もあるが、従属させることはない。したがって、多数の部族や氏族の上にそびえたつような超越的な権力(国家のこと)の成立を妨げる。

3.成層化

贈与の互酬は、クラ交易が示すように、多数共同体の連合体、いわば「世界システム」を形成するが、安定したものではなく、つねに新たな贈与の互酬による再確認が必要である。このような共同体は環節的(環節動物の節のように同じような節がつながっているだけで上位の構造体に組織されない)である。こうした部族連合体の延長に首長制国家(chiefdom)がある。ただし、ここでは国家に抗する互酬の原理が働いており、国家ではない。国家では、互酬的でない交換様式が支配的になっている。

4.定住革命

狩猟採集民は遊動的生活をしているので、収穫物を備蓄できない。ゆえに、収穫物は全員で均等に分配する。あるいは、客人に振る舞う。これは純粋贈与であり、互酬的ではない。贈与とお返しという互酬が成立するのは、定住し備蓄することが可能になったときからである。柄谷は、一つの偏見を取り除いておくという。すなわち、人は本来、定住する者であり、条件に恵まれれば定住するという偏見である。遊牧民や狩猟民が遊動的生活を続けてきたのは、定住がさまざまな困難をもたらすのが第一の理由。例えば、バンドの内と外における対人的な対立など。バンド社会は非固定的で、人口が増えれば出て行ったり、分割したりできる。第二に、定住すると死者の傍らで生活しなければならない。アニミズムでは死者はたたりをもたらす怨霊で、遊動生活では死者を埋葬して立ち去れば災いは遠のく。この二つのバリヤーを乗り越えて定住が始まった。その契機は、気候変動である。人類は氷期の間、高緯度の寒冷地の草原地帯で大型獣を主食とする遊動生活を営んでいたが、間氷期に入ると中緯度から高緯度まで森林化が進み、狩猟生活に適さなくなった。漁業は狩猟ほど移動を必要としないので、定住に一役かったと考えられる。また、干す、燻製、塩漬け、などの技術が定住と共に現れたが、これは技術が先ではなく、これらの食品貯蔵技術は定住生活をしてから生まれたものであろう。栽培は採集収穫の延長線上に、牧畜が狩猟の先に生まれた革命的技術である。これらも定住のおかげである。柄谷は、定住はある意味では、新石器革命以上に重要な変化をもたらし、互酬原理による氏族社会、としている。

 定住は備蓄を可能にし、不平等や戦争をもたらす。多くの所帯が定住して共存する社会では、共同寄託、つまり贈与の「義務」というかたちをとらねばならない。狩猟社会から移行した定住社会では、男は形式的狩猟生活を送り、女性が栽培飼育という実質的な生活物質を作った。このことが女性の地位を高めたかというと、逆に低下させたのである。何も生産せずに、ただ象徴的な生産(狩猟の真似事)や管理に従事する男性が優位に立ったのである。例えば、ニューギニア高地では、女性が農業生産物とブタ(一番価値の高い財産)の両方の生産者なのに、一番に重んじられるのは、生産ではなく、大規模な儀礼交換だとされていた。さらに、国家が形成され、農耕文明が始まる段階であった。そこでは、「生産」に従事するのは、女性と征服された被支配民である。「定住革命」とは、人類学者の西田正規が提唱した。

5.社会契約

所帯・バンド・氏族社会での契約と拘束、およびその非絶対性について述べてある。

6.贈与の義務

定住が進んで、個々の所帯で備蓄が始まると、不平等が生じ、抗争の原因となる。それを回避する方法が贈与の互酬である。モースによれば、互酬を支えるものとして、三つの義務があるという。贈与する義務、受け取る義務、返礼する義務、である。贈与を通じて、敵対的集団の間に、強い紐帯が生まれる。贈与を通じてもともと世帯内部にあった「平等主義」が大きな共同体全体に広がる。インセスト(近親相姦)の禁止も贈与の義務と切り離せない。類人猿の研究者によれば、類人猿でインセストは回避されている。しかし、未開社会におけるインセスト禁止は単なる回避ではなく、外婚制のためである(デュルケム)。さらに、デュルケムの甥のモースは、外婚制とは所帯あるいは氏族が娘ないし息子を贈与し、かつお返しするという互酬システムとした。レヴィ・ストロースは「略奪婚」ですら互酬性の法則に矛盾しないとしている。

 

以上で、第一章 定住革命は終わり、次章 贈与と呪術に移る。