2024年6月9日

「世界史の構造」

第二章 贈与と呪術

1.贈与の力

贈与に「力」があることは直観的に理解できる。ここでは、マルセル・モース、レヴィ=ストロース、モーリス・ゴドリエの説を批判的に考察している。

2.呪術と互酬

呪術とは、自然ないし人間を、贈与(供儀)によって支配・操作しようとすることである。つまり、呪術そのものに互酬性が含まれている。呪術が成り立つ前提として、アニミズムが先行する。アニミズムは相手をアニマ的(霊的)とみなす。アニミズムは遊動的バンドにも存在したが、定住化してから相手との間に互酬的交換関係が成立して、そこに呪術が成立した。マルティン・ブーバーは、世界に対して人間がとる態度を二つに分けた。第一が、「我―汝」という関係で、第二が、「我―それ」という関係である。第二の「それ」は物には限らない。彼でも彼女としてもいい。「それ」として対象化される。「我―汝」という態度をとれば、物も「汝」になる。「我―汝」の「我」と「我―それ」の「我」は異質である。「我―それ」の「我」は対象に対する主観である。しかし、「我―汝」の「我」は関係の中に生きている。アニミズムは、世界に対し「我ー汝」という態度をとることである。ブーバーによれば、近代の人間はすでに「我―それ」の関係の中に生きている(主観的にも客観的にも)ので、「汝」の世界に出会うことは困難だ、としている。狩猟採集民は「我―汝」の世界に生きているが、狩猟の獲物との関係を「我―汝」から「我―それ」に変えなくてはならない。その切り替えが供養としてなされる。供養は、贈与によって自然の側に負債を与え、それによって自然のアニマを封じて、「それ」へとして対象化する。その意味で、モースによれば、呪術者が最初の科学者である。氏族社会では、呪術者=祭司の地位が高いが、王のような絶対性をもつようにはならない。しかし、国家社会では、「汝」としての精霊(アニマ)が神として超越化され、自然および他者は単に操作されるべき「それ」となる。

3.移行の問題

柄谷の問題意識は、遊動的バンド社会が定住に移り変わったとき、なぜ国家社会(戦争、階級社会、集権化)ではなく、氏族社会(平和、平等化、環節的社会)へと移行したのか、という点にある。この問題について、人類学者によってまったく否定されている、フロイドの『トーテムとタブー』に柄谷は着目した。フロイドは、群れの中で、父権を象徴する原父を息子たちが抗して殺してしまい(アトキンソンの仮説を借用)、互いに平和的に過ごすために、族外婚の掟を自分たちに課したと考えた。家族は母権によって組織化された。そして、父の代わりに特定の動物がトーテムとして据え置かれた。しかし、人類学者は、古代社会に「原父」のようなものは存在しなかった、としている。柄谷は、放置しておくと必ず生まれる「原父」を、氏族社会を構成した人たちが、たえずあらかじめ殺していた、とする。