2024年6月23日

「世界史の構造」

第二部 世界=帝国

第二章 世界貨幣

1.国家と貨幣

「商品交換は共同体と共同体の間で始まるということを、マルクスは幾度も強調した」という一文で、本章は始まっている。普通、共同体の内部では、商品交換は起こらず、贈与や共同寄託というかたちをとる。共同体どうしの間には、「戦争状態」(表立ってないにしても、潜在的にある)があるので、友好的な関係にならなければ、商品交換はありえない。友好的になるには、贈与がなされなければならない。したがって、交換様式Cは、未開社会では交換様式Aに付随して存在した。また、商品交換は、契約不履行や略奪を不法とする国家の「力」(交換様式Bに根ざした)が必要である。さらに、交換様式Cにも固有の「力」がある。この「力」は国家によって生まれるのではなく、国家がそれを必要とするものである。その「力」は、貨幣の力である。商品交換がなされるためには国家が必要なように、国家もその存続のために貨幣を必要とする。この章では、交換様式Cを、それが従属的な地位であるような社会構成体において、考察する。交換様式Cは、資本制社会構成体において支配的な様式であるが、それ以前の社会構成体においても、その力は発揮されていた。利子付き資本や商人資本は、資本主義的生産様式に先行していた。柄谷は、資本の本質は、この金貸し資本や商人資本にこそ認められる、と述べている。

2.商品世界の社会契約

商品交換からいかにして貨幣が生まれたか、そして貨幣がもつ力はいかにして生まれたか、を考える。アダム・スミスは、商品には使用価値と交換価値があると考えた。交換価値は他の商品を購買する「力」である。それは、各商品がそれぞれ貨幣だということになる。しかし、そのようなことはありえない。商品は売買(貨幣との交換)がなされてはじめて価値が生まれる。生産物は売れなければ、いくら労働を費やしてできても、価値を持たない。ところが、金や銀のような貨幣商品は、それだけで交換価値があるようにみえる。この価値(力)は、商品と商品の交換過程から生じる。マルクスが「資本論」で明らかにしたのは、商品の価値は、商品に内在するのではなく、商品と商品の交換を通してしか発生しない、ということである。

 商品aの価値は、商品bの使用価値によって表示されるとする。このとき商品bは貨幣(等価物)である。しかし、逆に商品aで商品bを買ったとも言える。つまり、どの商品も自ら貨幣であると主張できる。しかし、実際に貨幣が出現するためには、商品bだけが等価形態にあるのでなければならない。マルクスはこうした価値形態の分析から始めて、「貨幣形態」に発展することを論理的に示した(註:資本論第一部第一編に書かれている)。貨幣は、いわば商品bが、外のすべての商品に対して排他的に等価形態におかれるようになるときに出現する。金や銀は、外のすべての物を相対的価値形態にすると、貨幣になる。しかし、金や銀はそこに位置するから貨幣であるのではなく、特別の交換価値が内在しているからだと考えられるようになった。マルクスに習えば、貨幣の生成は「商品世界の共同作業」であり、あるいは「商品世界の社会契約」としてもいい。

3.「リヴィアサン」と「資本論

マルクスが貨幣生成について述べたことは、ホッブスが「リヴィアサン」(1651年)で主権者の出現について述べたことに類似している。どちらも、一者への権利の集中を、他のすべての者の権利の譲渡に見ているからだ。ホッブスは主権者の出現を、歴史的にではなく、論理的に示そうとした。マルクスは、実際の貨幣の生成を歴史的にではなく、「商品社会の共同作業」として示したのである。マルクスによれば、「任意に分割できること、諸部分が一様であること、その使用価値が耐久的であること」から、金や銀が貨幣となったとする。しかし、柄谷は、これを、「金や銀には貨幣となる必然があるとする」のは考え違いであるとする。重要なのは、素材ではなく、貨幣形態が大事なことを強調することである。

4.世界貨幣

3において、商品交換において、一般的等価形態はもっぱら特別な商品種に付着することを考えた。一般的等価形態をなすものは、家畜であったり、奴隷であったりしたこともあるが、社会形態の変化に応じて、様々な形をした貨幣となり、貴金属貨幣に移行した。ポランニーによれば、古代貨幣は支払いの目的に応じて、貨幣を使い分けた。たとえば、バビロニアでは、価値尺度としては銀、支払い手段としては大麦、交換手段としては油脂、羊毛、なつめやしの実などが使用された。このように原始貨幣は多様であったが、銀1クシル=大麦1グルなどのレートがあって物々交換の体系が作られていた。銀は既に世界貨幣であったが、国内では使用されなかった。貴金属貨幣は国家によって鋳造されたが、それが世界に通用する「力」は、国家の力によってではない。国家がなしたのは、貴金属の量を保証しただけである。対外貨幣は、それ自体商品(使用価値)でなければならない。それ故、世界貨幣として、別の商品体系の中に入り込むことができる。

5.貨幣の資本への転化

商品交換は合意にもとづくものである。しかし、貨幣を持つ者はいつでも商品を買うことができるが、商品を持つ者はいつでも貨幣を得ることができるわけではない。すなわち、商品交換にともなう困難は、商品所有者の側に集中される。商品交換様式Cは、対等な者どうしによって行われるものではない。貨幣がいったん成立すると、貨幣はたんなる商品交換の手段ではなく、商品といつでも交換できる「力」となる。そこで、貨幣を求め蓄積しようとする欲望とそのための活動が生じる。これが資本の起源である。商人資本は、貨幣→商品→貨幣+α(M-C-M (M+ΔM))という過程で貨幣の自己増殖をはかるが、この過程に商品→貨幣という交換があり、上に述べた理由でリスクをともなう。このC→Mをマルクスは「命がけの飛躍」とよんだ。この危険を回避するのが「信用」(手形決済など)である。「信用」は取引の当事者の間の共同性の観念に支えられる(「互酬性」交換様式A)。さらに、「信用」は国家によって、すなわち交換様式Bによっても支えられている(国家は債務不履行を許さない)。かくして、貨幣と信用によって、商品交換は空間と時間を越えて行われる。

 商品交換が将来の他者とも行われ、それが利潤を生む見通しがあれば、商人は金を借りてでもそうするだろう。金を貸す者には利子が支払われる。利子生み資本(M-M‘)は生産過程と流通過程に媒介されないで、一定の剰余価値を生む。これらの交換様式Cがもたらす世界は、根本的に信用あるいは投機=思弁的なものであり、近代資本主義にも受け継がれている。

6.資本と国家

M-C-M’という商人資本の運動は、C-MおよびM’-Cという等価交換からなる。この二つの等価交換が異なる価値体系の中で行われる場合、安いところで買って高いところで売ることで、剰余利益が発生する。そのため、商人資本が発生するのは、遠隔地交易においてである。遠隔地交易には、さまざまな障害(海賊など)に会うので、軍事力が必要なので、実際には国家が施行した。また、巨大な利益を独占するために、国家は私的交易を排除した。一方、ベドウィンのような遊牧民フェニキア人のような海洋民族が、遠隔地交易を担っている時代もあった。しかし、かれらは私的交易者ではなく、武装商団を組む部族集団であった。かれらは、帝国の内部にいる場合も、外部にいる場合もあった。