2024年5月3日投稿

序論 交換様式論

1.マルクスヘーゲル批判

なぜ生産様式でなく、交換様式なのかが書いてある。資本制経済はそれ自体、貨幣と信用にもとづく体系だから観念的上部構造である。マルクスはこれを説明するために、「資本論」において、生産様式でなく、商品交換という次元から考察を始めた。資本主義において、資本と労働者の関係は、貨幣と商品の交換様式を通して組織されている。そこで、柄谷は「われわれは生産様式=経済的下部構造という見方を放棄すべきである」と言う。

2.交換様式のタイプ

資本主義社会にいると商品交換の様式が支配的である。しかし、別のタイプの交換がある。贈与とお返しという互酬である。文化人類学は、未開社会においては、贈与返礼の互酬的システムが社会構成体をつくる原理であるとしている。しかし、これは未開社会に限るものではなく、さまざまなタイプの共同体に存在する。ただし、この交換様式Aは共同体内部の原理ではない。柄谷は、商品交換(交換様式C)が行われるのは共同体と共同体の間であるとマルクスが強調していると、指摘している。同じように、交換様式Aも、個人同士の互酬であっても、それぞれが所属する共同体を代表しての互酬である。したがって、互酬は共同体の一段上位の集団の形成をもたらす。互酬は共同体形成の原理ではなく、「より大きな共同体を成層的に形成する原理である」。

 交換様式Bも共同体の間に生じる。一つの共同体が他の共同体を支配略取することに始まるが、一方的なものではなく、支配共同体は被支配共同体を他の侵略者から保護しなくてはならない。この支配共同体は「国家の原型」である。被支配者にとって、「服従することによって安全や安寧が与えられるような一種の交換」が交換様式Bである。

 次に、第三の交換様式C、商品の交換がある。これは、「贈与によって拘束したり、暴力によって強奪したりすることがないときに、成立する」。商品交換の重要な点は、相互の自由を前提としている。しかし、相互の平等を意味するものではない。商品交換は一般に貨幣を商品の交換として行われるが、aが売りたい値段を決め、bが買いたい値段を決めるが、その値が一致しないと交換は成立しない。貨幣は「なんとでも交換できる質権と持つ(マルクス)」ので、貨幣と商品の交換は、債権者と債務者の関係になるので、平等には行われない。ここで、貨幣(資本)を持つ側に、この交換から「剰余価値」が生まれる。かくして、交換様式Cは、交換様式Bによってもたらされる「身分」関係とは違う「階級」関係が生まれる。

 「それらに加えて、ここで、交換様式Dについて述べておかねばならない。それは、交換様式Bがもたらす国家を否定するだけでなく、交換様式Cの中で生じる階級分裂を越え、いわば、交換様式Aを高次元で回復するものである」。交換様式Dは柄谷の目指す世界なので、未完である。ただ、柄谷は「それは最初、宗教的な運動としてあらわれる」と書いている。

 

 B 略取と再分配

(支配と保護)

 A 互酬

(贈与と返礼)

 C 商品交換

(貨幣と商品) 

 D   X

          図1 交換様式 (本書より引用)

 

 B 国家

 A ネーション

 C 資本

 D   X

          図2 近代の社会構成体(本書より引用)

 交換様式Dは古代帝国の時代、交換様式Bと交換様式Cの支配を超えるものとして現れた。キリスト教でも仏教でも、創始期にあった共産主義的な集団では、交換様式Dが支配していた。しかし、社会が進むにつれて、図2にあるように社会の構成は変化してきた。ただし、実際の社会構成体は、こうした交換様式の複合としてそんざいしている。例えば、部族社会では交換様式Aがドミナントであるが、BやCが存在しないことを意味するのではない。また、資本制社会では交換様式Cが支配的であるが、他の交換様式の作用から逃れているわけではない。

(今回は、ここまで)