2026年4月11日 投稿

「風の谷のナウシカ」第5冊目

培養され散布された粘菌は恐ろしい武器として描かれている。粘菌をばらまくことは人為的に操作できるが、ばらまいて生育し変形体になった粘菌は特定の敵を認識する能力を備えていないらしい。ただ、蟲をあやつる技術があったように、粘菌をあやつる技術があるか、不明である。ただ、粘菌も自らの意思(?)で増殖・発生し瘴気をまき散らす。特別な粘菌変異体は通常より毒性の強い瘴気を発する。

 

ドルク神聖皇帝の聖都シュワで、深い傷を負った皇弟(チククの吹き矢にやられた)が治療している。皇兄は巨神を育てている。さらに、ヒドラも飼いならしている。その皇兄は、この100年、超能力を持つ皇弟に主導権を握られていたが、いまや皇弟は眠っている。皇兄は自ら神聖皇帝として出陣することになった。

                                                                               

ケチャ、ユパさま、そしてアスペルたちは、さらに南へ進み、ナウシカの跡を追おうとしていた。そして、一群のトルメキアの兵と一般の人々が撤退しようとしていた。その中で、ユパさまたちは、クシャナや瀕死の傷をおったクロトワと遭遇した。ケチャは本来ドルク軍に所属していたし、アスペルはトルメキアに滅ぼされたベジテのアスペルたちは、クシャナ達に強い敵意を示すが、共にナウシカとかかわりがあり、決闘の権利は留保しておくことになった。クシャナは、欲望に翻弄され、憎悪にとらわれたこれまでだったのに、蟲がやってきて仇の一人があっけなく死んだのをみて、まわりの惨状も目に入らず、空虚な気持ちに陥った。そして、クシャナは悟った、憎しみと恐怖を捨てれば、蟲は襲ってこないことを(ナウシカがそうしていたように)。この憎しみと恐怖は、300年前のエフタル王国が滅亡したとき、残された土地をめぐって、大海嘨よりも多くの命が失われた。同じことが起ころうとしている。ドルクの軍勢は、その戦いの準備(巨神兵の復活もふくめ)をしていると、クシャナは述べた。

 

発生した粘菌変異体は4群、瘴気をまき散らしながら、なにもかも食い尽くして進んでいた。それらは、合体しようとしていた。だれかが操っているのかは、わからない。ドルク軍団を指揮している僧官チャルカは、状況を見守るだけだった(ナウシカが危険をおかして周囲を探った)。ナウシカは上人を騙った“虚無”に襲われそうになったが、そこにオーム(王蟲)が現れた。また、上空には地上に降りられない蟲が群舞していた。蟲たちは疲れ切って瘴気の中に落ちて行った。現れた王蟲も死んで行った。そこでは、死体が菌床となって、新しい生命が芽生えていた。

 

皇女クシャナ第3軍拠点サパタ市では、隊員がほとんど全滅していた。ヒドラ(神聖皇帝がドルクの土地を征服したときに従えていた人造兵士)の仕業だった。クシャナは生き残っていた隊員を見出した。本隊は風上の地に脱出したという。それは、蟲の群れが来て瘴気が濃くなってゆくときに、風(ナウシカ)が来て、マスクも効かない猛毒の瘴気が来るので、東に向かって脱出せよ、と指示した。わが中隊だけが殿下(クシャナ)を待っていた。そこにヒドラの一群がクシャナたち(ユパを含む)を襲ってきた。クシャナは囚われの身となった。不死身のヒドラに苦戦していたとき、ヒドラが退却しだした。無数の王蟲の大群がやってきたのだ。ただ、蟲の目は攻撃のときの赤ではなく、青かった。退却したヒドラはドルクの船にもどっていった。その船にユパがしがみついた。

 

船には、ドルクの神聖皇帝(皇兄)が乗っており、敵関係であってもユパを勇者の客人として遇した。神聖皇帝は、クシャナは自分の妻となる女だから生かしてあると告げた。王蟲の大群は粘菌変異体の瘴気の中を進んで行き、それを神聖皇帝たちは船で追った。粘菌と王蟲は殺し合い、周囲はなにもなくなってゆく。かくした、神聖皇帝に、「土鬼(ドルク)諸侯国連合帝国は消滅した」と言わせた。ユパが、「トルメキアへ侵攻するのか」と聞くと、「そうするしかないではないか」と答えた。

 

気を失って取れられていたクシャナは、意識を取り戻すや、見張っていたドルク兵を倒して、酸素筒を爆破すると脅して、神聖皇帝(皇兄ナムリス)に対面した。皇兄はクシャナに地上に生き残っていた第3軍の部下たちを見せた。「いまなら助けられる」と皇兄は言った。「条件は?」とクシャナ。「ドルク・トルメキア二重帝国」と皇兄。「私の夫になるというのか?」とクシャナ。「二人して、たそがれの王国を築こうではないか」。

 

地上では、僧官と地元の住民たちが、瘴気から逃れて行くか、村々に戻るか、論争していた。瘴気にまかれるという僧官に対し、住民は「経典」をお忘れか、という。僧会は人民になにをしたのか、“虚無”をはびこらせただけなのか。そこに、また“白い鳥の声”(ナウシカ)が聞こえた。これはチククの念話の力のなしたこと。チククは僧官に、「みてみろ」と言った。見ると、蟲の数が減ってきた。ナウシカのメーヴェが来た。王蟲たちは死んで行こうとしていた。“虚無”が現れた。そして、言った。王蟲もそれを食べる粘菌も、人間が汚したこの星を浄化するために創られたのだと。しかし、ナウシカは“虚無”は上人さまとは違う。“虚無”はいやな臭いがする。“虚無”はナウシカに「お前も愚かで薄汚い人間のひとりにすぎない」と言った。”虚無“の言うように、ナウシカの手も足も血で汚れていた。ナウシカは王蟲の行くところに行こうと思った。王蟲の目は深い青をしていた。粘菌の群れは合流点に近づき、王蟲の死体を食って行った。ナウシカは粘菌も粘菌の餌食になろうとしたとき、ナウシカは死にそうな王蟲に食べられた。そのとき、チククが感じていたナウシカのシグナルが消えた。

 

汚された星を浄化するために、すべての王蟲や粘菌たちが死んで行った。ここで、第5巻は終わっている。

 

2026年3月21日 投稿

序論

6.交換の起源

マルクスは、商品の価値はその生産に要した労働(時間)にあるという労働価値説を、アダム・スミスやリカードらの国民経済学(古典派経済学)から受け継いだ。剰余労働の搾取という考えも、ウィリアム・トムプソンらのリカード派社会主義者の見解である。これらの考えが「資本論」の基盤にあることは確かであるが、柄谷は、「資本論」の本領は、その副題である「経済学批判」にあるとしている。

 古典派経済学は生産を重視し、交換を副次的なものとした。この根底には、アダム・スミスの論敵であった重商主義者が交換(交易)を重要視したことがある。重商主義者は貨幣に特別な力があると見なし、交易を通してそれを蓄積することを至上化し、保護貿易主義の政策をとった。これに対して、自由主義を唱えたスミスは、貨幣に特別の地位を与えなかった。商品の価値はそこに内在する「労働」であり、貨幣はそれを表示する手段でしかない、とされた(「国富論」)。

 マルクスはこの労働価値説を継承したように見えるが、ある意味では重商主義に立ち返って考えたのである。いいかえれば、問題を生産ではなく、交換から考えたのである。マルクスがそうしたのは、貨幣の”力“について考えようとしたのである。貨幣は商品の労働価値を表示する単なる記号とするのではなく、なぜそれが特異な”力“をと持つのかを解明しようとした。この”力“は、物の生産ではなく、その交換において生じる。

 商品はたんなる生産物ではなく、生産物が交換されるときに生じる形態である。物の使用価値は、交換なしで、物と人との直接関係の中で実現されるが、商品の価値は、交換の中で、つまり社会的過程の中でしか実現されない(「資本論」)。商品の価値とは、物に付着した何かである。この「何か」を、マルクスはフェティシュ(物神)と呼んだ。マルクスは、商品交換において、「人間の頭脳の産物」であるにも関わらず、固有の生命をもち、人間を強いる「力」が存在する事実を見た。

 商品の交換は、共同体の内部ではなく、その外にある共同体との間に行われる。他者との接触には、単なる同意や約束以上の、強制的な「力」を必要とする。それが、フェティシズムである。マルクスは、貨幣はそのような物神性が発展した形態である、と考えた。柄谷によれば、それが資本物神となるにいたる過程を論じたのが「資本論」だとする。

 貨幣があれば容易に物を買うことができるが、物を売って貨幣を得るのは容易ではない。資本の蓄積は、M-C-M‘という運動を通してなされるが、マルクスはC-Mという過程に「命がけの飛躍」を見出した。C-M、つまり物を売るということは、それに失敗すれば物の所有者は打ちのめされる。つまり、商品と貨幣の交換には深淵が存在するのである。

 

2026年3月11日 投稿

序論

5.交換の「力」とフェティシュ(物神)

ヘーゲルは『哲学史講義』において、世界史は「精神」が自己実現する過程である、とした。人間の社会史は、なんらかの意図・設計によって作られたものではなく、人間の意図を超えたものであり、むしろ「無意識」によって強いられたものである。例えば、カエサルやナポレオンは、それぞれの意識においてはそれぞれの野望や欲望、野心によって動いている。ところが、彼らはそれぞれ、そのような「心理」あるいは「意識」を超えたものを実現してしまう。そのことを、ヘーゲルは、彼らは「無意識」に支配されているのだと解した。次に、ヘーゲルは、ダイモニオン(精霊)に「議会に行くな」いわれたために、広場に行って問答を始めたソクラテスについて、同じような議論をしている。この「ダイモン」はとは「ソクラテスの無意識」ではないか、というのである。ヘーゲルの弟子を自認するマルクスも「資本論」で、同じようなことを考えた。

 「人間が彼らの労働生産物をたがいに価値として関連させるのは、これらの物が、彼らにとって同種の人間労働のたんなる物的な外皮とみなされるからではない。逆である。彼らは、彼らの異種の生産物を交換において価値として等値させることによって、彼らのさまざまな労働をたがいに人間労働として等値させるのだ。彼らはこのことを意識しないが、しかしそうやっているのだ。だから価値の額に、価値とはなんであるかは書かれていない」(「資本論」、第1巻第1篇第1章)。このように、マルクスは「資本論」で「無意識」を持ち込んだ。というより、ダイモン(精霊)を持ち込んだ。それが「フェティシュ」(物神)である。つまり、商品価値に関してフェティシュに言及したとき、彼はそこに一種の霊的あるいは観念的な力が出現すること、そして、それが生産ではなく交換から来ることを洞察したのである。このところが、柄谷の一連の考察の原点となっているのである。

2026年3月3日 投稿

序論

4.資本制経済の中の「精神」の活動

マルクスは「資本論」第1巻の第2版のあとがきで、自分があの偉大な思想家(ヘーゲル)の弟子であることをおおっぴらに認めたばかりか、価値観に関する章のあちこちでヘーゲル特有の表現法におもねった、と述べている。そして、弁証法が彼の手で神秘化されたとしても、そのことによって、弁証法の一般的な運動形態を最初に包括的または意識的に述べたのが彼であったということは、ゆるがない。弁証法は、ヘーゲルの場合、頭でたっている。神秘的なヴェールの中に合理的な核心を見るためには、それをひっくり返さなければならない、とマルクスは書いた。

 柄谷は、この有名な文は誤解を与える、と指摘する。たしかに、マルクスはヘーゲルの観念論的哲学を「ひっくりかえす」ことを若い時からやってきた。しかし、「資本論」における転倒はそれらとは違う。そこでは、マルクスは、ヘーゲルの「論理学」の叙述に忠実に従った。それは、「価値観に関する章のあちこち」だけではなく、「資本論」の全体系においてそうなのだ。マルクスをそうさせたのは、資本制経済の中に一種の「精神」の活動を見出したからなのだ。

 マルクスが「資本論」で書こうとしたのは、商品精神(物に憑いた霊)が貨幣、資本へと発展し、社会全体を組織してしまう歴史である。マルクスの書には、『貨幣精神の謎は、商品精神の、目に見えるようになった、幻惑的な謎にすぎない』(第1巻第1編第2章)とある。マルクスは精神(霊)が自然的・直接的な形態から発展して自己実現するというヘーゲルの論理に忠実にしたがいつつ編成したわけである。「資本論」で描かれるのは、物に憑いた得体の知れない霊が、産業資本として全社会を牛耳るにいたる過程である。僕の解釈では、(生産された)物に憑いた霊は、物が使われればそれで収まるが、商品になると次々に乗り移り、使うものの霊とは違ってくる。この変化を経済的・物質的な次元から説明することはできない。柄谷は、ここにおいて、マルクスは経済を「生産」ではなく、「交換」に見たと言う。

 

2026年2月27日 投稿

序論

3.交換様式から来る「力」

柄谷の見方では、「政治的・観念的上部構造」に存する「力」は、「経済的下部構造」から来るが、それは生産様式ではなく、交換様式に基づくとする。生産様式にもとづく人類社会史、いわゆる史的唯物論はエンゲルスによって最初に提起された(「ドイツ・イデオロギー」において示された、「史的唯物論」の要の章である「フォイエルバッハ」の項は、エンゲルスによって書かれた)。マルクスは「資本論」において、資本制経済の形成を、生産ではなく交換に見出そうとした。言い換えれば、生産様式ではなく、交換様式に注目し、そこに商品交換から生じる物心的な「力」を見出した。この「マルクスの発見」は、柄谷が発見したものでもある。

 フォイエルバッハへの批判を最初にしたのは、モーゼス・ヘスである。ヘスは生産のみならず交通(Verkehr)を重視した。彼は、この言葉を交易、交換、性交、さらに戦争もふくむ広い意味で用いた。さらに、彼は人間と人間の間だけでなく、人間と自然の間にも「交通」を見出した。普通、人間と自然の関係は、生産力、すなわち人間が自然を操作し活用するという観点から見られる。しかし、ヘスが強調したのは人間と自然の間の相互的関係、言い換えれば、物質的代謝(メタボリズム)である。初期マルクスの「経済学・哲学草稿」に、ヘスの「貨幣体論」の影響が認められる。また、「ドイツ・イデオロギー」にも、「歴史上のあらゆるあつれきは、われわれの見方によれば、その根源を生産諸力と交通形態との間の矛盾のうちに持っている」という記述を見出すことができる。

 マルクスの「資本論」における見方で重要なのは、ヘスの「交通」一般ではなく、人間と人間の間の「交換」を注視したところにある。それが彼の「経済学批判」の第一歩となった。彼がこれを開始したのは、1848年革命が挫折し、彼がヘスらと一緒に始めた「共産主義者同盟」が解散した後であった。この後、二人は袂を分かち、ヘスはシオニズムを唱えるようになり、マルクスはロンドンに亡命し、経済学批判のための研究を始めたのである。

 

2026年2月20日

「風の谷のナウシカ」第4巻

ナウシカの指示により、トルメキア軍が解放したサパタの長老など捕虜の一軍を見て、ドルク軍の隊長チャルカがトルメキア軍に降伏を進めるが、トルメキア軍は断った。ドルク軍はトルメキア軍を殲滅するために、皇弟の指揮によって瘴気を出す「森」を開発しようとしている。皇弟は「サパタにたてこもるトルメキア軍を皆殺しにせよ」と命じた。また、トルメキア本国にばらまくための菌を育てている。

 ユパの後を追ってケチャたちは風の谷の近くのセラミック鉱山町に入った。そこで、思いがけなく、死んだと思っていたトリウマのクイに出会った。クイはそこで卵を一つ生んだ。そこは300年前の大海嘯によって腐海に没した古エフタル王国の都市の廃墟で、森になっていた。そこでエフタル王国の末裔が森の人として暮らしていた(青き衣の人にひきいられて)。

 

アスペルとケチャは青い目の若者と別れガンシップを運転してドルクの地に向かう。そこで、ドルクの戦艦に遭遇したが、戦艦は眠っている巨神兵を運んでいた。両者の間に戦闘が起きたが、ガンシップは被弾してしまい、不時着する。

 

クシャナの一隊は南のドルク船団の基地へむかっていたが、蟲の大群に出会った。さらに進むと、トルメキア軍の前線の基地(そこは下の兄の指揮下にある部隊の)に出た。そこで王家の重コルベットと対峙し、クシャナの船は破壊された。そうして、クシャナは下の敵対する兄に再会した。そこへ、蟲の大群が襲ってきた。兄の軍勢はコルベットで逃げたが、蟲の大群にやられてしまった。残されたクシャナ達は、やっとのことで壕に避難した。そこで、クシャナは毒を飲まされたために気が狂った母と再会した。多くの兵士たちが蟲にやられてしまった。

 

メーヴェに乗ったナウシカは砂漠の中の森に降り立った。古いお堂があり、見知らぬ神様たちの像があった(僧正に似ていた)。そこで、ナウシカはチククという少年(吹き矢を武器とする)に出会った。僧正と同じように眼を失った奇異な人(上人)たちがおり、死と滅亡による浄化を待っているという。そして、上人たちは待っていた風(やさしい猛々しい)が吹いてきたと語った。襲ってくるはずの蟲たちも目の前で次々に死んでいった。そして、上人たちも死んで行った(上人は、ナウシカに「こころのおもむくままにお行き」と告げた)。粘菌が創り出す瘴気があたりを覆い始めた。ナウシカもメーヴェで逃れようとしたが、いつもの瘴気と違い、マスクが効かなかった。息を止めて、雲の上に出た。そこでは、ドルクの船が瘴気をまき散らしていた。蟲の襲撃からなんとか逃れたドルクの皇弟の船も粘菌とその瘴気に狂った蟲たちに襲われはじめた。僧官は皇弟に逃げてくださいと言ったが、皇弟は、近くにあの小娘(ナウシカのこと)が見えると言い、妖術を使ってナウシカを殺そうとした。ナウシカは怯えたら食われてしまうと、立ち向かった。チククの吹き矢が皇弟の眼を射ると、妖術は解けた。皇弟は船を捨ててのがれたが、僧官は船を自爆させ、へばりついている粘菌を殺さねばならないという。粘菌は変形体に変態し、一方それを翅蟲の一軍が攻撃していた。ここでは、ナウシカと僧官は敵同士だが、協力して粘菌と戦っている。僧官たちは船へ逃れ、トルメキア軍が培養していた粘菌の種苗をすべて廃棄した。

 

粘菌の化け物は他種の粘菌と合流するために移動していた。ここで、第4巻は終わっている。

2026年2月8日 投稿

柄谷行人「力と交換様式」のノート

序論

1.上部構造の観念的な「力」

柄谷は前著「世界史の構造」で、生産様式から交換様式への移行を提唱した。マルクス主義の標準的な理論では、生産様式が土台であり、それが政治的・観念的な上部構造を規定しているとしている。しかし、柄谷は社会構成体の歴史のベースには、生産様式だけでなく、交換様式があると考えた。交換様式には次の4つがある。

 A 互酬(贈与と返礼)

 B 服従と保護(略取と再分配)

 C 商品交換(貨幣と商品)

 D Aの高次元での回復

柄谷がこう考える理由は、社会構成体の歴史を見ると、下部構造(生産様式)が上部構造(政治・国家)を規定しているとするマルクス主義の見方では、説明できないことが多すぎたためである。

 マックス・ウェーバー史的唯物論を原則的に認めながら、観念的な上部構造の総体的自律性を主張した。例えば、マルクス主義では、近世の宗教改革プロテスタンティズム)を資本主義経済の発展の産物として見るが、ウェーバーは逆に、それが産業資本主義を推進する力として働いたことを強調した。エミール・デュルケームとフロイドも経済的下部構造に還元されない観念的上部構造の力を見てきた。しかし、ウェーバーもフロイドも、上部構造の観念的な「力」が、経済的下部構造、ただし生産様式ではなく交換様式から来るということを見なかったのである。一方、マルクスはそれを「資本論」で見出した。

 

2.「力」に敗れたマルクス主義

カール・マルクスの死後、エンゲルスは、労働者階級が富を独占する少数者を打倒した後、政治的権力を手にする必要性を論じていた(1883年)。実際、ボリシェビキによる十月革命の後、政治権力が確立したが、その結果、資本主義的生産様式は廃棄されたものの、国家は消滅するどころか強大化し、スターリン主義に帰結した。

 イタリアのグラムシは、国家権力の強さが、単に暴力的強制によってではなく、服従する者たちの自発的な同意によって成り立つと考え、それをヘゲモニーとよんだ。つまり、政治的・イデオロギー的の上部構造は、経済的下部構造に規定されるとはいえ、自律的な力をもっている、ということである。

 また、1930年代のドイツにおけるナチズムの勝利は、旧来のマルクス主義者が軽視していた国家・ネーション・宗教など「政治的・観念的上部構造」に存する「力」に敗れたことを意味する。フランクフルト学派の哲学者は、マルクス主義の基盤を再検討する方向に向かった。このとき、彼らは、それまでブルジョア的心理学として否定していた、フロイドの精神分析学を導入した。1960年代にフランスにおいて、アルチュセールが行ったことも、類似する。彼は、ラカン経由であるが、フロイドの精神分析学を導入して、それまでの史的唯物論の難点の解決をはかった。フロイドは、複数の原因が収斂して結果が生じることを「重層的決定」とよんだ。アルチュセールは、観念的上部構造は、経済、政治、イデオロギーを含む土台によって重層的に決定されるとした。

 これらに対し、柄谷は、土台をなすのは多様な生産様式の重層的組み合わせではなく、交換様式Bによって生まれる力であると論じている。上部構造に付与されている「力」がどのように生じるのか、を問わねばならない。