2025年1月19日 投稿

シロオビアゲハの雌特異的擬態を作る遺伝子

Doublexはアゲハ蝶の♀だけに現れる擬態を支配するsupergeneである。以下に、この結論に至った経緯を説明する(文献1)。Papilio polytes(シロオビアゲハ)は沖縄やフィリピンなど東南アジアでもっとも普通に見られるアゲハ蝶である。名前のように、♂の成体では下翅に白い帯を有する個性的な紋様を有する。♀は♂に似た紋様を有する個体(cytus)と紅色の美しい文様の個体(polytes)の2種類がある(図1)(文献2)。後者の♀は、有毒のPachliopta aristolochiae(ベニモンアゲハの一族)に擬態している。この♀の紋様の多型は、Mendelの分離の法則にしたがうことが、1968年には判明していた(文献3)。

図1.文献2より引用。

 責任遺伝子の同定のための交配実験の概要を図2aに示した。これまでの研究によって、cytusとpolytesの表現型は、一つのlocusによって決められていることが示されているので、それをM/mで表してある。mm♂とMM♀を交配すると、Mm♂とMm♀が出来るが、このM/m♂をm/m♀と交配させると、図示したようなF2が生まれる。9組のbackcross familiesを使って、443個のF2♀個体を作成した。RAD markers (restriction-site associated DNA markers)を使って、おおまかなmappingを行い(図2b)、RAD36の領域の300kbに絞り込んだ。この領域には5個のgenesが存在する。次に、P. polytesの30個体のfull genome sequencesを決め、SNPsと表現型のassociation mappingを行った(図2c)。94,776 SNPsに対するfalse-discovery rate (FDR)-adjusted P valuesを縦軸にプロットしてある。遺伝子dsxに相当する領域が有意に高いP valuesを示した。つまり、doublesex (dsx)遺伝子の変異がcytus/polytesの表現型を決めていることになる。さらに、15 cytusと15 polytesの個体のre-sequencingを行い、この結果の確証を行った。

図2.文献1より引用

 Dsxが翅の紋様の多様性をもたらすには、alternative splicing formsによるのかもしれない。翅の細胞から調整したRNAによるtranscriptome解析によって、3種類の♀特異的dsx isoformsと1種類の♂特異的isoformが確認された(図3a)。Isoform 1とisoform 2はMm型の♀の翅に同じような発現をしていた(図3b,c)。isoform 3は胴体の部分に発現していた(図3d)。Isoform 1および2の発現は、MMおよびMm型♀(表現型はmimetic)では多いが、mm型♀(表現型はnon-mimetic)では少なかった(図3e, f)。これらの結果は、♀polytesの紋様の変化はdsx isoformsの選択的splicingの違いによるのでなく、発現量の違いによることを示唆している。

図3.文献1より引用。

 Mimicry alleles (cytus vs. polytes haplotypes) のcoding regionsでは、1,068塩基のうち72塩基が違っていたが、non-coding regionsでは、108,036塩基中972塩基しか違っていなかった。これらの違いは、DNA-binding domainやdimerization domain以外の部分に認められた。しかし、構造予測によると、両allelesの分子は高次構造が違いがあった。

 それぞれの100kb程度のdsx haprotype内では、特定のallelesの組み合わせが高度に維持されている(complete linkage disequilibrium)。これは、heterozygotes内でのrecombinationが抑制されていることを示唆する。周辺のgenome sequencing dataからmimicry allelesに付随したinversion polymorphism(逆位多型)の存在が示された。Chromosomal inversionsはheterozygotesのrecombinationを抑制することが、良く知られている。

 以上の結果から、sex特異的なmimicryを支配し、Mendelの法則に従って分離するsupergeneが、doublesex (dsx)と言う単一転写調節遺伝子であり、特殊な組み換え抑制の仕組みに支えられて、高度に保存されていることが、明らかになった。必須の発生過程に関与する遺伝子が、種内の多型を調節することに利用されていることは、意外なことかもしれない。DsxはPapilio polytesにおいて二つの異なる役割(性分化特性の維持と、♀に特異的な表現型の切り替え機能)を担っているが、そこに生起する突然変異は、性分化(二つの機能の一方)に必須のDNA-binding domainやdimerization domainにはほとんどないことも、当然とはいえ興味深い。

 ♀特異的なmimetic polymorphismは、Papilio属では複数回独立して進化してきたが、本研究で明らかとなったのは、その一つである。Papilio Dardanus(オスジロアゲハ)における♀のmimetic polymorphismは、dsxにlinkしていない領域にあるgenes, engrailedとinvectedにマップされたという報告がある。

  1. Kunte, K., et al., Nature 507: 229 (2014)
  2. Loehlin, D. W. & Carroll, S. B., Nature 507: 172 (2014)
  3. Clarke, C. A., et al., Phil. Trans. R. Soc. Lond. B 254: 37 (1968)

2025年1月4日 投稿

第四章 アソシエーショニズム

3.経済革命と政治革命

相互の合意による交換にもとづく資本制経済において、なぜ不平等が生じるのか。プルードンによれ、労働者たちは協業と分業において個々人がもつ以上の「集合力」を発揮するのだが、その割り増し分に対しては支払いを受け取れず、資本家がその未払い分を収奪する。不平等はここから生じる(註:これは、会社が成り立つ一番の基盤である。生産に使用する機械などは、労働者が提供するのではないことにも注意)。

 資本家が労働者を働かせるのは、領主が農奴を働かせるのとは違って、強制ではなく、自由な合意にもとづいている。しかし、これは支配―被支配関係がなくなったことを意味しない。この支配―被支配の関係は、労働力商品を売るものは貨幣をもつ資本家と対等な関係ではないことに起因する。プルードンによれば、真の民主主義は政治的なレベルだけではなく、経済的なレベルでも実現されねばならない。フランス革命は、王権は廃止したが、経済的には「貨幣の王権」が残った。プルードンが「貨幣の王権」を廃棄するためには、貨幣の代わりに、代替貨幣と信用金庫を創出することとした(註:これがよくわからない)。代替貨幣には、貨幣のような特権的な力がなく、利子もない。このような貨幣にもとづく交換は、相互的であり「盗み(より多く取る)」はない。これは不平等を生まないシステムであるから、「経済革命」である。資本は労働者を雇い、協業と分業によって、個々の労働者がもたない「集合力」をもたらす。ただ、この生産システムには“疎外”された形態をともなう。もし、そのような疎外状態を廃棄できれば理想的である。このことを、プルードンは考えていた。柄谷の書いている通りに書くと、プルードンは、「われわれの前に現象している世界」の深層に、社会的労働の生み出す「諸力の均衡に由来する連帯性」、諸個人の「自発性」と「絶対的自由」によって形成される「真の実社会」があると考えたのである。このような考え方は、1840年代にドイツの青年ヘーゲル派の間で風靡した「疎外論」と同型である。同派のフォイエルバッハは、宗教において人間の本質的存在が疎外されていると主張した。モーゼス・ヘスやマルクスは、同じ批判を国家や資本への批判に転化した。ここまでは、マルクスプルードンは同じ思想を持っていたと言える。しかし、柄谷が引用している、1846年にプルードンが、共同で行動しようというマルクスの申し出を断った手紙からわかるように、二人の実際の行動方向に決定的な違いが生まれた。

 プルードンは、マルクスが、いかなる改革も実力行使なしには、「かつては革命と呼ばれていたが、せいぜいのところ動乱でしかないもの」(プルードンがこう書いた)の助けなしには、不可能だという考えを、(マルクスが)まだ持っていると指摘し、自分もかつてはそう考えたが、いまはその見解を棄てた、とした。要するに、プルードンは政治革命を棄てたというのだ。プルードンは、「ある経済組織によって社会から取り上げられた富を、別の経済組織によって社会に変換すればいい、とした。

 マルクスが政治革命の必要だとしたのは、国家主義者だったからではない。資本主義経済が法制度や国家政策によって保護されている以上、少なくとも一時的にそれらを停止しなければならない。そのためには、国家権力を掌握しなければならない、と考えた。プルードンも、その後、政治革命なしに経済革命は実行できないことを認めた。プルードンは、1848年2月革命で実現した補欠選挙に立候補し、議員となった。そして、「交換銀行」設立案を国民国会に提起した。1849年、自分の新聞でルイ・ナポレオン大統領を批判したため、禁固刑を受けた。

 プルードンの死後だが、1871年パリ・コンミューンにおいて、プルードン派は国家権力を奪取する蜂起を決行し、プロレタリアート独裁の自治政府を宣言した。2か月後、ヴェルサイユ政府軍によって鎮圧されたが、以後の革命運動に強い影響を及ぼした。

 マルクスが国家権力の掌握を主張しだしたのは、2月革命時に、ブランキ派と接触したころからである。ブランキは、少数前衛の秘密結社によって革命を先導し「プロレタリア独裁」を実現することを、主張していた。彼はプルードンに同調しており、経済的な階級関係が消滅すれば、国家は消滅すると考えていた。また、前衛(党)が権力を握るのではなく、革命は大衆の蜂起によって起こり、大衆自身によって実行されねばならない、としていた。そのとき、少数の目覚めた前衛(党)が先導し、進む方向を示さなければならない。バクーニンは、マルクス国家主義者・集権主義者として糾弾したが、実情は違う。マルクスは、経済的な階級関係が消滅すれば、国家は消滅するだろうと、考えていた。だから、短期間の「プロレタリア独裁」は過渡的なものとして、許容した。しかし、以後の歴史は、国家の自立性は堅牢であり、国家の消滅などなかった。

2024年12月29日 投稿

第四章 アソシエーショニズム

2.社会主義国家主義

ここで論じる社会主義は、国家による社会主義ではなく、国家を拒否する社会主義(アソシエーショニズム)である。フランス革命では、「自由・平等・友愛」というスローガンが唱えられた。自由は市場経済、平等は国家による再分配、友愛は互酬性という、それぞれ交換様式に対応している。ジャコバンの混乱を乗り越えて、三つを統合したのが、ナポレオンであった。ナポレオンはフランス革命における「友愛」を、イギリス資本に対抗する「ナショナリズム」に変形させた。これは、フランス革命にあった「自由・平等・友愛」を、<資本・ネーション=ステート>というボロメオの環として統合させたものである。

 ルイ・ボなバルトによる政権は、国家主義的な社会主義と言える。これに異を唱えたのがプルードンである。プルードンは平等とよりも自由を優位においた。さらに、友愛よりも自由を優位においた。これを交換様式の観点から見れば、プルードンこそ、社会主義を交換様式、あるいは「経済学」の観点から見ることを最初に提起した人である。プルードンはルソーの「社会契約」という考えを、それが双務的でないことを批判した。プルードンは「アナルシー(アナーキー)」とは、双務的=互酬的な契約に基づく民主主義のことである。アナーキーは通常、混沌や無秩序のように思われているが、プルードンによれば、国家によらない、自己統治による秩序を意味している。

 「友愛」が真に存在するためには、それが共同体に収斂するのでなく、共同体を越えた世界市民的なものでなければならない。しかし、実際はしばしば友愛は狭い共同体に収斂する。フランス革命は、当初の民族を超えた「市民」がフランス「国民」となること、すなわち友愛がナショナリズムに転化することで、終結した。プルードンによれば、自由が優位にあるときにのみ、共同体を越えた友愛が成り立つとした。社会主義者マックス・シュティルナーは、アソシエーションを形成するためには、個々人が一度共同体を絶縁しなければならない、と主張した。この場合、「友愛」は枷となってしまう。

 柄谷によれば、プルードンの目指すものは、交換様式Dに他ならない。プルードンは平等を軽視したのではなく、平等が「分配的正義」として実現することに反対したのである。これは、国家による富の再分配であり、国家の権力を強化させることになる。そうすると、自由が犠牲になってしまう。不平等を生み出すことのないような交換システムを作りだすために、プルードンはさまざまな構想を提起した。次章で、プルードンの考えを説明する。

 

2024年12月21日 投稿

文献:Nishida, K. et al.  Butterfly wing color made of pigmented liquid 

Cell Reports 42: 112917 (2023)

チョウやガの翅の色は、鱗粉によって決められている、とだれでも考えている。事実、翅をこすって鱗粉をはがすと、透明になってしまう。ところが、コスタリカに棲息する、2種類のタテハチョウ科のチョウ(近縁ではない)Siproeta stelenesとPhilaethria diatonica(図1)の翅の色は、膜の間にある鮮緑色の液体によって決められている、という報告が出た。どちらのチョウも黒色に黄緑色の斑紋のある美しい翅を有している。後に説明するが、生きている蝶の翅の緑色(鮮やか)と標本の翅の緑色(くすんでいる)はすこし違っている。

図1.文献1より引用。上がS. stelenes、下がP. diatonica

翅の膜に緑色の液体が含まれている

 S. stelenesの翅の鱗粉を取り除くと、翅の緑色の部分が残り、他の部位は透明になった(図2A)。ということは、この緑色は鱗粉から来るものではない、ことを示している。この翅の部分を拡大してみると、無色の泡状の部分があり、緑色は液体らしい(図2A‘)。そこで、緑色の部位を切断し、液体を濾紙で吸い出すと元の部位は無色になった。また、翅の緑色の部位を圧迫すると、その部位から緑色が除かれ、しばらくすると緑色が戻った(図2C)。

図2.文献1より引用。

 次に、P. diatonicaの前翅のクチクラ層を上下にはがし、濾紙に液体を移した(図2D)。これらの結果は、これらのチョウの翅の緑色は、緑色の液体によることを示している。この緑色の液体は、18-23℃、湿度70-80%の条件科下で、速やかに粘度を増し、数秒後に固形化してしまった。この緑色の液体は、後期の蛹でも認められた。また、チョウが死ぬと、緑色の液体は固形化する。

緑色の液体を含む翅の部分と含まない部分の構造的違い

 S. stelenesの褐色の部分と緑色の部分は、鱗粉やクチクラ層の形状が違っている。その例が、図3に示してある。図3Aは、標本(乾燥個体)の鱗粉の形状である。図3Bは低倍率走査電顕(SEM)像である。図3Cと図3Dは、それぞれ緑色部位と褐色部位の高倍率SEM像である。図3Eと3Fは、それぞれ緑色部と褐色部の翅の切断面の像である。緑色部位の断面は、2層のクチクラ膜の間が空いていることがわかる。ここに緑色の液体が入っていた(写真は乾燥体)。

図3.文献1より引用。

翅の膜にはliving cellsが含まれている

成虫のチョウの鱗粉は蛹のときには生きた細胞だが、羽化した成虫では死んだ細胞の殻である。S. stelenesの翅をHoechst 33342(生細胞の核が染まる)で染色すると、緑色部位では一様に染まったが、褐色部位では染まらなかった(図4A1、A2)。S. epaphusとP. diatonicaについての結果も図4Bと4Cに示してある。著者たちはさらに多くのサンプルについて調べ、染色された核と緑色液体の関連が明らかになった。つまり、生きた細胞が緑色液体を保有していることになる。そこで、これらの細胞を緑色液体細胞と称することにした。緑色液体は図2Cの突起状の構造と関係があると、考えた。

図4.文献1より引用。

翅の緑色色素の同定

草食性の昆虫の緑色は、植物に含まれるyellowish carotenoid色素とbluish bile色素の混合物に由来する。これらの色素はタンパク質との複合体として存在している。S. stelenes翅の緑色の液体はchroroformなどのnon-polar solventsによく混合する。そこで、LC-MS解析を行い、色素luteinを同定した。Luteinは高分子(少なくともタンパク質を含む)と結合して存在している。さらに、この結合体は、blue bile色素とその結合タンパク質と複合体を形成していることを示唆する結果を得た。翅の褐色部位には、この色素複合体は存在しない。

緑色色素はhemolymphに含まれている

S. stelenesの体液中のhemolymphは緑色をしている。緑色液体とhemolymphの色素のsbsorbance spectraは少し異なっている(図5E)。また、抽出した色素とタンパク質の複合体を、size exclusion chromatographyで調べたところ、緑色液体にはlutein(図5FのピークI)が、hemolymphに比して多く含まれることが分かった(図5Gとの比較)。この結果から、著者たちは、緑色液体はhemolymph細胞由来であろう、と推測している。S. stelenesやP. diatonicaの翅の輝くような緑は、天敵(rufous-tailed jacamarなど)から身を守る役割および種個体どうしの情報のやり取りに機能していると考えられる。図1から分かるように、生きている個体では緑色部位は黄色味を帯びて輝いているが、標本の個体では、鮮やかな黄緑色は失われて、薄い青みがかった緑になっている。lutein色素は、チョウの幼虫が食した植物由来なので、成虫のhemolymphに蓄えられている。Luteinは、熱や光によるoxidationによって壊されるので、細胞はそれらを防ぐ機能を有しているはずである。緑色液体はfast-dryingおよびfast-coagulatingな性質を有するが、その性質は傷による液体の損失を最小限にするためであろう(血液の凝集と同様な機能)。

図5.文献1より引用

 チョウの翅の色と紋様は、鱗粉によって作られていることは、よく知られている。しかし、それ以外にも、翅の膜に含まれる色素溶液によって、鮮やかな翅の色が決められている場合を、本研究は明快に示した。

 付記:本研究論文の筆頭著者のKenji Nishida(西田賢司)は、Costa Rica在住の探検昆虫学者で、チョウの翅に色素を含む液体があることを発見した(論文最後のcontributionsに明記されている)。

 

 

 

2024年12月7日 投稿

雑録:僕が東大医科研でした研究

10月16日に、このブログに投稿した「僕がした最初の研究」に続くもので、そのとき書いたように、淡路島夢舞台で行われた国際シンポジウムのdinner talkで話した僕の若い頃の研究の紹介です。1966年4月から1971年7月まで、僕は東大医科学研究所の助手をしていました。教室を主宰していたのは、内田久雄さんで、当時は助教授でしたが、しばらくして教授に昇任されました。

 僕がもらった研究テーマは、大腸菌の染色体の複製機構で、具体的には複製が染色体のどこで始まり、どちらの方向に進行するか、を決めることでした。色々ないきさつがあり、結局僕一人でこの研究を進めることとなりました。ただ、内田さんはじめ多くの内田研の人たちに助けられて、結論を出すことができました。淡路シンポジウムで使ったスライドの一部にしたがって、説明します。

先ず、研究テーマです(図1)。この研究では、大腸菌の染色体の特定部分を単離することが鍵となっています。後に、DNA cloning技術が確立しましたが、その前の技術として見てほしい、と注意書きしてあります。

図1.研究テーマ

 この研究の背景です(図2)。まず、大腸菌の染色体がsemi-conservativeなmannerで複製されるという、有名なMeselson & Stahl (1958)の研究がありました。次に、Jacob & Wollmanにより、大腸菌の遺伝子マーカーが環状に並んでいることが示され

(1961)、また、染色体の実体が環状構造になっていることが、Cairnsによって示されました(1963)。

図2.研究の背景

 さらに、Cairns(1963)は複製中の大腸菌染色体の実体写真と3H-thymidineのラベルを利用して、見事な写真を撮り、染色体の複製が一点から始まり、一方向に進行することを示しました(図3)。この写真は、どの分子生物学の教科書にも載っていました。僕のテーマは、複製が染色体のどの遺伝子部位から始まり、どちらに進むかを決めるものでした(図4)。結論を先回りして書いておくと、僕の研究は、Cairnsの見事な写真が間違っていることを示唆したのです。

図3.写真はCairns 1963より引用。

図4.染色体の複製がOから始まり、時計周りに進行すると仮定したモデル。


 大腸菌plasmids F’13 (lac)、F’14 (ilv)、F’15 (thy)の3種は、それぞれlac, ilv, thyの遺伝子を含んでいます(図5)。これらのplasmidsを単離すれば、大腸菌の特定の遺伝子を含む3種類の断片を得ることになります。当時、内田研の小部屋で机を隣り合わせていたのが堀内賢介さんでした。堀内さんは、Yale大学でpost-doc研究を終えて、帰国されたのです。Yale大学で、彼は大腸菌のplasmidsを大腸菌からProteus mirabilisに移す研究をされており、それらの材料を持っておられました。堀内さんは、それらの材料を惜しげもなく、僕に使わせてくれました(堀内さん自身は、医科研では別のテーマの研究にとりかかっていた)。E. coliP. mirabilisのDNAsのGC-contentsが違うことを利用して、E. coli plasmidsを単離する計画を立てました(図6)。このプランの創出には、堀内さんと、当時技官をしていた本田正明さんとの議論がおおいに役立ちました。

図5.3種類のF'因子が有する遺伝子のマップ

図6.F'因子のDNAを単離する方法

 実際に、E. coliP. mirabilisのDNAsの熱感受性ははっきり違っていました(図7)。そこで、3種類のplasmidsを単離する計画を立てました(図8)。この過程で、両種のDNA含量の割合は分析用超遠心機解析で調べましたが、この操作は本田さんがしてくれました(彼が、中央機器室の担当技官だったので)。こうして、3種類のE. coli plasmids DNAsを手にすることができました(図9)。

図7.P. mirabilis DNAとE. coli DNAの熱感受性の違い

図8.F' DNAを単離精製する手順

図9.F'13およびF'14 DNAの精製(実験ノートより)


 研究の手順は、次の通りでした。E. coli染色体の複製開始はamino acid starvationでブロックできるが、進行している複製は完了するまで許容される。そこで、amino acidsを培地に再添加し、新たな複製開始を誘導する。複製開始時に3H-thimidineでlabelすると、複製開始点からの新規合成されたDNAがlabelされる。一方、染色体全体は32Pでlabelしておく(図10)。この仕組みだと、複製開始点に近いDNAがより強く3H標識されるはずです。

図10.実験の模式図

 結果の1例を示します(図11)。APおよびAHは、それぞれDNA全体量および複製されたDNA量を示す。X1は複製されたDNAの割合を示す(染色体全体量を1とした)。結果は、ilvlacおよびthyより圧倒的に早く複製されたことを示しました。

図11.一つの実験結果

 続いて、amino acid starvationの間、3H-thymidine labelingを行いました(図12)。図の赤点線の部分のDNAが合成されるはずです。前の結果から、複製開始点はilvの近傍にあることが判明していました。そこからclockwiseに複製が進むとすれば、amino acid starvation中には、thylacよりも強くラベルされるはずで、逆にcounter-clockwiseに複製が進むとすれば、lacthyより強くラベルされるはずである。結果は、どちらとも言えないものでした(図13)。

図12.次の実験のスキーム

図13.amino acid starvation中にDNA labelした実験結果


 なぜ、不思議な結果になったのか?3つの可能性が考えました(図14)。まず、amino acid starvationによるDNA複製の同調化が不十分である場合。しかし、これまでに多くの研究グループによる実験的evidenceがあるので、この可能性は低いと判断しました。次に、F’ DNAsとそれらに対応するchromosomal DNAsのhybridizationの特異性が低い場合です。しかし、DNA-DNA hybridizationの特異性は非常に高いことが、当時既に確立していたので、この可能性も低いと判断しました。残る可能性は、大腸菌の染色体の複製は定点から開始し、一方向に進むという当時の定説モデルが間違っている場合であす。例えば、複製が定点から開始し、bidirectionallyに進行する場合である。僕は論文で、この可能性を指摘しました。

図14.実験結果の不思議さの原因

 翌年、染色体上でilvのちょうど向かいに位置するhisを含むF’his DNAを調製し、実験を行ったところ、染色体複製のterminusに近いという結果になり、E. coli chromosomeの複製は、定点開始2方向進行であることが明白となりました。図3のCairnsの実験を再検討したところ、まったく同じ方法で、複製が両方向に進行することが、別の研究グループが示しました。実技には定評のあったCairnsは、1枚の電子顕微鏡オートラジオグラフィー写真があまりにも見事(elegant)だったために、誤った結論を引き出してしまったのです。

 この実験の論文の著者は僕一人になっていますが、内田久雄さん、本田正明さん、堀内賢介さん、たちの協力なくしてはできませんでした。現在の基準からすれば、共同論文として発表されるべきものですが、当時の研究者の社会の特異性を反映して、僕の単独著者名の論文としました(他の方の同意を得て)。前に述べた今堀研での研究と違い、この研究の骨格は、僕が考えたもので、サイエンスについての自信のようなものを少し得ることができました。

 この研究には、後日談がいくつかありますが、また機会をみて書きたいと思います。

 

本実験を行った頃の内田研の写真がないので、内田研同窓会の写真を添付しました。

前列中央が内田久雄さんです。顔見知りの方々もおられることと思います。

 

2024年12月2日 投稿

第三部 近代世界システム

第四章 アソシエーショニズム

1.宗教批判

これまでに、柄谷は、交換様式Dが普遍宗教としてあらわれたこと、それゆえ、社会運動もまた 宗教の形態をとってあらわれた、と述べている。例えば、水平派(Levellers)という党派は、没落しつつあった独立小商品生産者の階級を代表しており、また、開拓派(Deggers)は農村のプロレタリアを代表した共産主義的組織であった。しかし、彼らの主張は「至福千年」という宗教理念として語られた。

 これらの急進的な党派は絶対王政を倒す過程までは大きな役割を果たしたが、クロムウェルの政権によって排除され、さらに王政復古から名誉革命を経て、立憲君主制が確立された。この時点で、イギリスのブルジョア革命は完結したといえる。この中で、ピューリタン革命にあった社会主義的な要素はしばしば表面に現れた。             

 フランス革命(1789年)には、ピューリタン革命のような宗教的な色調はない。しかし、19世紀以降も、社会主義的運動はいつも宗教的な文脈と結び付けられていた(例えば、サン=シモンの社会運動)。一般に、社会主義者のあいだでは、イエス社会主義者であり、原始キリスト教コミュニズムであると、考えられていた。このように、宗教的な社会主義が大勢であった1840年代に、ピエール・ジョセフ・プルードン無政府主義者の父)は「科学的社会主義」を唱えた。それは、社会主義を、宗教的な愛や倫理ではなく、「経済学」に基づいていた。彼は、労働力商品に基づく資本主義経済を、国家による再分配を通した平等化ではなく、労働者の互酬的な交換関係を作ることで揚棄しようとした。ここでは、交換様式Dには、もはや宗教色はない。19世紀末に、「科学的社会主義」を唱えたエンゲルスとその弟子カウツキーが、あらためて社会主義と宗教のつながりを回復させようとしたほどまでに、徹底的なものだった。

 ここからが、柄谷の持論である。プルードンに先立って、宗教を批判しつつ、なお宗教の倫理的核心すなわち交換様式Dを「救出」する課題を追求した思想家がいた。カントである。カントは「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」という格率(Maxime)を普遍的な道徳法則であると考えた。他者を「目的として扱う」とは、他者を自由な存在として扱うことであり、他者の尊厳を認めることである。他者は自分の自由のための手段ではなく、自由のための互酬的存在なのである。カントは、教会あるいは国家・共同体の支配装置と化した宗教を批判否定した。一方で、それが普遍的な道徳法則を開示する限りにおいて、宗教を肯定した。

 カントが言う道徳法則は、主観的な道徳の問題ではなく、社会的関係にかかわっている。例えば、資本主義経済における資本と賃労働の関係は資本家が労働者を単なる手段(同動力商品)として扱うことによって成り立っている。これでは、人間の「尊厳」は失わざるをえない。ゆえに、カントのいう道徳法則は、賃労働そのもの、資本制的生産関係の揚棄を含意するのである。この考えの背景には、当時カントがいたドイツの都市ケーニヒスベルグにおいて、単純商品生産者(職人)が中心のところに、資本主義的生産が始まりかけていた状況があった。そこで、カントは小生産者たちの共同組合(アソシエーション)を考えた。そのため、新カント派哲学者ヘルマン・コーヘンは、カントを「ドイツ最初の真正社会主義者」とよんだ。実際には、この段階のアソシエーションはたちまち抑圧されてしまったが、社会主義の核心をつかんでいたと言える。それは、分配的正義、つまり再分配によって富の格差を解消することではなく、そもそも富の格差を生まないような交換的正義を実現することである。カントはそれを「義務」とみなし、互酬的交換の回復が、人々の恣意的な願望ではなく、「抑圧されたものの回帰」として、到来することを把握していた。

 柄谷は書いている。重要なのは、カントのいう道徳性は、国家の揚棄を必然的に含むということである。彼は、世界史が「世界市民的な道徳的共同体」、つまり「世界共和国」に向かって進んでいると考えた。しかし、人間の自然状態は戦争、あるいは敵対行為によって絶えず脅かされている状態である。それゆえ、「平和状態は創設されなければならない。」

 平和状態は作り上げなければならない、という前提では、カントはトマス・ホッブスと同じである。しかし、ホッブスは、主権国家(リヴィアサン)によって平和が実現されると考えたが、それは一国内だけの話である。一方、カントは国家間に平和状態を創設しようと考えたのである。カントが、世界史が「目的の国」ないし「世界共和国」にいたるということを「理念」として見たことだ、と柄谷は書いている。理念は仮象であるが、それが感性によるものであれば、理性によって修正できる。もし、理性が生み出す仮象であれば、それは理性では正せない。これをカントは、超越論的仮象とよんだ。例えば、同一の自己があるというのは仮象である。しかし、それがないと、人は統合失調症になる。同様に、歴史にも目的があるというのは仮象であるが、これがないと、やはり統合失調症になる。結局、人はなんらかの目的を見つけなければならない。

 カントは、理性の構成的使用と統制的使用を区別した。カントは構成的使用を数学の比例に、統制的使用を哲学の類推(アナロジー)に比した。数の比例では、3つの項が与えられれば、第4項は確定する。これが構成的の意である。しかし、類推においては、第4項に当たるものを経験の中に探索する指標(index)が与えられるだけである。歴史がこうだったからといって、今後もそうだとは言えない。しかし、そうであろうと仮定して対処することが、統制的(regulative)な理性の使用である。「指標」はあくまで仮定を含むが、ただやみくもに進むのとは違う。具体的に述べると、理性を構成的に使用するとは、フランス革命の恐怖の独裁者ロベスピエールジャコバン主義者)のように、理性に基づいて社会を暴力的に変革する場合である。それに対して、理性を統制的に使用するとは、無限に遠いとしても、人が指標に近づこうとする場合である。カントの世界共和国は、後者である。これははるか遠い理念なので、カントは漸進的な実現可能な具体案を考えていた。それは、諸国家連邦である。しかし、これが国家の揚棄につながる、国家のアソシエーションの形成に至るかは、柄谷は本書の最後に検討するとしている。

 柄谷の頭には、欧米の先進資本主義国家に対する、一国社会主義(ロシア、中国)や宗教的原理主義的社会(イスラム諸国)の発展と存在があると思われる。

2024年11月25日

The butterfly wing pattern ground plan:the color pattern gene WntAのcis-regulatory elements (CREs)の解析

まず、chromatin構築についての解析方法を説明しておく。

TADs, topologically associating domains:空間的に近接している染色体domainsのhistone修飾のパターンや複製タイミングなどに相関する構造。

HiC解析:TADsを実験的に推測する手法。

ATAC (assay for transposase-accessible chromatin)-sequencingopen chromatin領域にtagを入れて、断片化し単離し、配列を決定する。

タテハチョウ科は、12の亜科、500以上の属、6,000種が記載されている。これらの蝶の翅のcolor patternは実に多様で、発生学的にも、遺伝学的にも、また進化学的にも非常に興味深く、多くの研究がなされてきた。これまでの研究によって、WntAが蝶のmajor color pattern elementsのsignaling ligandの遺伝子であるが、color patternが相当違っていてもWntA遺伝子そのものには、あまり違いがない。したがって、この遺伝子の発現の違いがcolor pattern変異の基盤となっていると考えられる。翅のWntAの発現変異の基となるcis-regulatory elements (CREs)による調節機構を明らかにするために、TADsのHiC解析を行った。5種のタテハチョウ科の蝶(図1C)について調べたところ、図一番下のmonarch butterfly(オオカバマダラ)を例外として、69-88%のwing-specific CREsが調べた領域に認められた。とりわけ、WntAのすぐ上流とthe first intronが重要と考えられた。

図1.文献1より引用。

CRISPR-Cas9系を利用して、5種の蝶(図1)について、46個のWntA-associated CREsのdeletionsを作成した。Heliconiusは他のNymphalidaeと違って、典型的なsymmetry systems(図2は文献2より引用)をとっていない(基調は黒色)ので、nymphalid ground planとは違うWntA発現をしている(異なるCREsを使っている)可能性を検討した。結果は、他の4種のNymphalidae蝶でcolor patternsに強い影響を与えたCREs(CRE7など)のdeletionsは、Heliconiusの黒色パターンにも強い変化を及ぼした(図3)。このことは、Heliconiusにおいても他のNymphalidaeと同じWntAのregulatory systemsを使っていることを示唆する。さらに、Heliconius butterflyのspecific CREs(他の蝶では使われていない)をinactivateしたときも、同じような表現型の変化を認めた。つまり、Heliconius種が分枝した以後に進化したCREsもより古い時代から保存されているCREsと同様の役割を演じていることになる。

図2.文献2より引用。

図3.文献1より引用。

以後、それぞれのCREについてKO実験をした結果を詳細に述べてあるが、正直言って、一般性に乏しいので、ここでは省略する。一例として、CRE21のケースを示す(図4)。

図4.文献1より引用。

文献1.Mazo-Vargas, A. et al. Science 378: 304 (2022)

文献2.Nijhout, H. F. Development and Evolution of Butterfly Wing Patterns. Wahington D. C. Smisonian Press (1991)