2024年2月25日投稿

前回からの続き

金権政治に代わったのは、クリーンの・イメージの三木武夫であった。三角大福から角が抜けて、「大福」間の激しい対立から、副総裁・椎名悦三郎の裁定で、三木になったいきさつがある。三木は企業献金全廃を目指していたが、与党内での力関係から無理で、なんとか政治資金規正法改正(抜け道だらけの寄付制限、収支公開を柱とする)を成立させた。1976年2月、ロッキード事件が発覚し大混乱の中、7月、前総理田中角栄が逮捕された。この年、河野洋平らによる新自由クラブの発足があった。

話が前後するが、1975年は労働運動の転換点となった。国労全電通全逓など3公社5現業労働組合の連合体である公労協が、スト権を要求してストを行ったが国民の支持を得られず、大敗北となった。時代を読めなかった組合側の退潮は、以後の経営者側の緊張感を失わせ、後日の経済後退の基となったようだ。別の意味で、政府と企業経営者側に警鐘を鳴らした論文「日本の自殺」が、文芸春秋1975年2月号に載った。繁栄を誇った古代ローマ帝国がほろびたのは、いわゆる「パンとサーカス」(詩人ウェルナリスが権力者から無償で与えられるパン(=食料)とサーカス(=娯楽)によって市民が満足して政治的に無関心になっている)が原因で、当時の日本も活力なき福祉国家に堕する、という趣旨である。本書は、この書を当時の保守系知識人や財界エリートの危機意識が集約的に表れている、としている。しかし、僕の見たところ、国を支配する者たちは国民を甘やかすな、という程度のものでしかない。ちなみに、この年に、戦後初めて赤字国債が発行された。

 1970年代後半から80年代は、日本経済の安定成長期にあった(経済成長率は年度平均で4.2%)。しかし、自民党内の党内闘争も含め、政治的には不安定で短期政権が続いた。まず、1976年12月、福田赳夫が首相に就任した。福田は景気回復と財政健全化の両方を目標にして、77年度予算編成に臨んだが、衆院予算委員会では、野党の委員数が与党を上回っており、政府予算案の修正(減税と社会保障費の増額など)に応じざるをえなかった。福田政権は、福田ドクトリン(軍事大国化を否定し、東南アジア諸国と相互信頼関係を築く)や北京での日中平和友好条約調印(1978年)など、アジア外交で成果をあげた。また、ロンドン・サミット(1977年)およびボン・サミット(1978年)では、日本は世界経済をけん引する機関車としての役割を担うべきだとされ、福田は内需拡大策を国際公約とし、積極経済政策をとった。なお、この本の著者は、政治家福田を非常に高く評価しているが、僕は、サミットで各国首脳の集団の後を、少し離れて、手を後ろに組んだ福田がとぼとぼ付いて行く姿しか思い浮かばない。政権運営に自信を持っていた福田は、日中平和友好条約締結を期に衆議院を解散して基盤を固める予定だったが、大平と田中角栄の策動によって、総裁予備選で敗れ去った。12月、大平正芳政権が誕生。福田は野に下り、安倍晋太郎などと政策集団「清和会」を立ち上げた。「小さな政府」を目指した大平内閣は財政再建に取り組み、一般消費税導入を進めようとした。野党は激しく反発し、内閣不信任案を提出した。大平は衆議院解散で応じたが、自民党追加公認を入れてようやく過半数に達した(新税導入は断念した)。こうしてなんとか発足した第二次大平内閣は、ソ連アフガニスタン侵攻(1979年12月)、それに伴うモスクワ・オリンピック・ボイコットなど、世界情勢の急変に直面して苦慮する中、社会党が内閣不信任案を提出した。福田らの自民党非主流派の採決欠席もあって、不信任案が可決されてしまった。大平は衆議院解散を行い、改選時期を迎えた参院と同時選挙になったが、選挙中に大平が急逝してしまった。こうして、弔い合戦になった同時選挙では、自民が圧勝した。この本によれば、「党内抗争のはてに、大平は死して自民党の「中興の祖」となった」。

 派閥闘争で疲弊していた自民党は、大平派のベテラン鈴木善幸を首班にすえた。鈴木は、選挙での大勝に浮かれて改憲論に盛り上がった保守派と距離をおいた政治を心がけた。しかし、行財政改革が必須の状況に直面しており、82年度には、各省庁の概算要求を前年度並み「ゼロシーリング」を打ち出さざるをえなかった。第二次臨時行財政調査会(第二臨調)設置し、小さい政府を目指した。3公社(国鉄、電電、専売)、とりわけ巨額な赤字を出していた国鉄の改革が急務となった。鈴木首相は比較的平穏な政治状況から、続投すると周囲から見られていたが、82年10月、中国訪問から帰国後、次期総裁選不出馬を表明した。

 82年11月、総裁予備選を制した中曽根康弘が首相に選ばれた。かつて、「青年将校」と呼ばれた中曽根の首相就任は、自民党内右派にとって待望の出来事であった。それを反映するように、靖国神社公式参拝や防衛費増額の主張などを行った。しかし、実際の政治は従来の自民党政治を踏襲することになった。例えば、1987年度の防衛着はGNPの1.004%とされているし、レーガン米国大統領から要求されたイラン・イラク戦争への自衛隊派遣は見送った。中曽根は国民の現状維持志向を読んでいたと思われる。一方で、三大公社の改革は、第二臨調を使って強力に推進した。中でも、国鉄は敗戦による帰国者の配属などで異常に膨張しており、しかも、運輸機関の全体の輸送に占める国鉄の分担率は、1950年の51%から、1970年の18%に減少していた。こうした状況に対し、国鉄の民営化という大ナタが振り下ろされた(国鉄改革関連法案の成立:1986年11月)。JR7社への移行にともない、1983年に24万人いた国労組合人は、1987年には6万人に激減した。これは、社会党=総評にとって大打撃であり、以後の日本の政局に大きな影響をおよぼした。この間、1986年5月、東京サミットを成功裏に負えた中曽根は、7月、衆参両院ダブル選挙で大勝した。この選挙で、中曽根自民党は従来の保守層だけでなく、都市部無党派層の支持を取り付けた。本書によれば、「中曽根が述べたように、55年体制はたしかに終わろうとしていた。しかしそれは、自民党支配の再強化どころか、政界全体を揺るがす激動の時代の幕開けを意味した」。

 ここで、このブログでは、今まであまり触れなかった社会党について簡単に言及したい。戦後の社会党は、労働運動に肩入れしてきた左派と中道路線の右派に分かれ、その活動も全く違っていた。左派は、60年の三池闘争の敗北で痛手を被ったが、社会党内ではむしろ勢力を伸ばし、66年には綱領的文書「日本における社会主義への道」を出した。右派であった西尾末広は、59年に党を割り、民主社会党を結成した。しかし、中道路線を目指した民社党は、その路線は現在も続いているが、存在感を示したことがない。一方、「構造改革」を主導していた江田三郎が一時国民的人気を獲得したが、左派が強かった同党の主流にはならなかった。さらに、安保政策に関しては、非武装中立論が信奉され続け、1969年の党大会では、社会党政権実現の暁には、日米安保条約を解消し、自衛隊の解体に着手する、との方針が示された。この時代、社会党の内部で、国民生活に密着した議論がなく、その退潮は当然のこととされる。この後、江田の離党を含めて内部抗争が激しくなったが、1977年参院選で27議席しかとれない大敗北を喫し、軌道修正せざるを得なかった。先の「社会主義への道」を見直し、1986年1月党大会において「日本社会党における新宣言」を採択し、西欧型の社会民主主義政党を目指すこととなった。しかし、非武装中立論は維持され、「自衛隊違憲だが、国会の議決に基づき法的に存在している」を打ち出した。その後、この意見はむしろ保守派に利用され、憲法9条は違憲だから、憲法改正を求める一つの根拠になっている。既に述べたように、1986年の衆参ダブル選挙で社会党は大敗北し、土俵際に追い詰められ、同年9月土井たか子を委員長に選び、踏みとどまろうとした。

 中曽根政権に話を戻す。ダブル選挙で圧勝した中曽根政権は盤石にみえたので、それを利用しようとしたのが大蔵省である。財政赤字を回復するために大型間接税を導入しようとした。直接税(所得税)は、964と言われたように、業種によって所得の把握に不公平があったからである。中曽根自身も政治家として税制改革に取り組もうとした。具体的には、1987年2月に売上税導入を含む税制改正法案を国会に提出した。しかし、同日選の際、中曽根は間接税導入を否定する発言をしており、公約違反とみなされた。野党だけでなく、与党内からも新税導入に反対の声があがるようになった。結局、3月の参院補選、4月の統一地方選挙において自民党は敗北し、売上税法案は廃案となった。自民党はこの敗北を引きずらず、秋には内閣支持率は回復し、中曽根は10月、総裁任期満了を迎えることができた。

 

 今回はここまでにする。以後、バブルおよび;バブル崩壊、非自民党政権誕生を経て、失われた30年、と続く。

2024年2月18日投稿

岸田総理も自ら認めているように、今の世の中には「政治不信」が充満している。もしかすると、これはわが国政治が大転換点に差し掛かっている兆しかもしれない。この機に、日本の戦後政治をおさらいしてみる必要を感じた。以下の書は、思い立って去年買ったものだが、今回再読して日本政治の未来を考えてみた。

 

境家史郎「戦後日本政治史」(中公新書

「あとがき」によると、著者は東大法学部で「日本政治」という科目の講義を担当しているが、本書はそのまとめである。一読して、僕が感じたのは、「政治」の講義とはこういうものなのか、という不満足感である。著者は意識してしたのだろうが、国際情勢の記述が少ない。また、経済はときの政治に大きな影響を及ぼしてきたはずであるが、「経済」についての記述も少ない。その一方で、日本の「政治の流れ」については、過不足なく書いてあるので、「戦後政治全体の筋書き」を理解することができる。著者が書いているように、政治は物語ではないので、ストーリーなど存在するわけではないが、自分なりの「筋書き」を読まないと流れを把握できない。まちがいなく、今日の政治もこの流れの上にある。

 僕は1937年生まれなので、戦後の混乱は実体験で知っている。「食料メーデー」や「2・1ゼネスト」、片山内閣、吉田ワンマン体制など、家では朝日・毎日・読売の三大新聞を購読しており、これらの記事が連日のように一面を飾っていた。もちろん、小学生の僕が記事を読んでもわからなかった。記事をある程度理解できるようになったのは、僕が中学生になった、朝鮮戦争のときからである。朝鮮戦争がその後の日本の政治経済の基盤を作ったとも言える。

 戦後のインフレ、1945年8月から1949年の間で、約70倍まで物価が上昇した。このハイパーインフレを抑えるために、いわゆるドッジ・ラインによる金融引き締めが行われた。しかし、経済は安定したように見えたが、代わりに失業者の急増など不況の波に襲われ、社会的混乱を引き起こした。こうした中での朝鮮戦争は、わが国に特需をもたらし、一部産業、例えば繊維産業などの好転をみた。しかし、対中貿易禁止令などによって、原材料の高騰のため生産が伸びない業種も少なくなかった。本書では、ドッジ・ラインは物価安定と企業体質の改善もたらし、以後の経済成長軌道に乗るきかっけとなった、としている。ちなみに、1ドル360円という単一為替レートはこのとき決まった。

 本書に書いてあるように、朝鮮戦争は米国の日本占領政策に根本的変換をもたらした。それまで軍国主義の復活をおそれた米国は、日本の再軍備に消極的であったが、朝鮮戦争がきっかけとなり、日本の再軍備をうながし、戦争放棄を定めた憲法9条の改正をせまるようになった。これに応じて、吉田内閣は警察予備隊の設置を行ったが、本格的軍隊の再建は経済復興の妨げになるとして慎重であった。第三次吉田内閣の最大の課題は、占領状態の終結、すなわち講和条約の締結であった。単独講和か全面講和かの対立を経て、1951年9月、サンフランシスコで講和会議が開かれ、西側諸国との条約が調印された。日米安保条約に基づき、米軍基地は国内各地に維持されることになった。しかし、沖縄は1972年に返還されるまで、占領下が続いた。吉田内閣も末期になると求心力がなくなり、鳩山らが自由党を離党し、左右社会党らが提出した内閣不信任案が可決され、いわゆる「バカヤロー解散」があった(1953年)。また、造船疑獄という贈収賄事件が起こり、吉田の側近佐藤栄作自由党幹事長が逮捕されそうになり、法務大臣の指揮権発動で救われたりした。

ここから、鳩山内閣による日ソ共同宣言、国連への加盟を経て、自由党民主党の合流(自由民主党の誕生)および右派・左派社会党の統一によって55年体制の基盤が出来上がった。55年体制とは、自民党の安定多数(その後の経済発展の基盤)と社会党議席2/3以上を確保(憲法改正はできない)している状況を指す。自民党の安定多数によって、いわゆる「逆コース」、日本の戦前体制へ回帰させようとする運動が高まり、「自主憲法」制定論が広まった。しかし、社会党が2/3以上の議席を占めているので、改憲の発議すらできない。しかも、60年安保の混乱によって、「逆コース」の先頭に立っていた岸首相が退陣し、保守政治の転換が起こった。大学時代、60年安保にかかわっていた僕は、「逆コース」から高度成長へ転換は、いろいろな面で実感できた。本書の記述にあるが、岸内閣は社会保障の基盤作りとして、国民健康保険法改正(1958年)および国民年金法制定(1959年)を行った。

 こうした中で、登場したのが池田勇人で、1960年閣議決定された国民所得倍増計画である。オリンピックを挟んで、国民所得は政府の計画以上のスピードで増えた。僕は、1964年大学院博士課程1年のとき、腎結核に罹り、右腎摘出手術を受ける大病をし、東京オリンピックのテレビも横浜市立大学付属病院の病室で観た。なんとか回復し、大阪の学会に参加したとき、はじめて新幹線に乗り、経済の成長を、身をもって感じた。本書では、景気拡大政策に批判的だった岸直系の福田赳夫が、国際収支の赤字拡大抑制や設備投資過剰の是正など、「安定成長論」を唱えたとある。福田は「党風刷新連盟」を立ち上げ、「派閥解消」など党近代化を迫った。この「党風刷新同盟」が後に「清和政策研究会」、さらに現代の安倍派になったのだから、皮肉なものである。池田は、吉田学校でのライバル佐藤栄作の挑戦を受けながら、総裁選で三選をはたした。しかし、がんに侵され、東京オリンピック後に退いた。後継総裁には、党人派河野一郎を退けた佐藤栄作がなった。この内閣で、大蔵大臣に就いたのが福田で、戦後初めて公債発行でオリンピック後の景気の刺激を行った。戦後の社会制度の基盤が整えられる中で、政治が清廉潔白であったわけではない。この時代の自民党総裁選では、投票権を有する議員や地方代議員に対し、醜い買収合戦が繰り広げられた。

 1964年11月に佐藤内閣が発足した。最大の課題は、沖縄返還交渉であった。佐藤は戦後の首相をして初めて沖縄を訪問し、「沖縄の祖国復帰が実現しないかぎり、わが国にとって戦後が終わっていない」と述べた。日米間で問題となったのは、米軍の核兵器の取り扱いについてであった。佐藤内閣は、日本は非核兵器三原則を政策とするとしていたので、交渉は難航した。しかし、69年11月、佐藤が訪米してニクソン大統領と会談し、核兵器の「本土並み」を条件に交渉がまとまった。本書には書いてないが、当時米国はベトナム戦争の最中で、様々な問題を抱えており、それが交渉に影響したのは間違いない。後日、明らかになったように、様々な密約が交わされていた。我が国は、沖縄問題という負債をいまだに抱えたままであり、佐藤の言う「本土並み」は実現していないので、戦後はまだ続いていると言える。この交渉において、日本側が譲歩した案件に繊維産業の問題があり、その後の業界の衰退につながった。佐藤政権にとっての衝撃は1972年のニクソン大統領の訪中であった。僕と美智子は、1971年7月から米国に滞在していたので、そこでニュースで知った。さらに、ウォーターゲート事件やパリ協定に基づくベトナムからの米軍の完全撤退など、米国は混乱期にあった。しかし、戦争が終わったという安堵感が充満していたのも事実である(これで研究室仲間が徴兵され戦地に出されることなどがなくなって)

 池田を引き継いだ佐藤政権は7年8か月続いた。池田・佐藤政権によって出来上がった、吉田あるいは旧自由党の流れを汲む自民党の路線を「保守本流」と呼んでいる。本書によれば、保守本流の政治とは、経済中心主義、軽武装日米安保を基軸とし、憲法問題を未決のままに置くことで、当面の政治的安定性を優先する立場と言える。池田派に由来する宏池会は、保守本流を自認しているが、55年体制を担った自民党政権の基本的姿勢が「保守本流」といえる。

 本書では、高度成長期の革新運動について、かなりの紙面を割いている。例えば、社会党民社党の分離、革新自治体の誕生(美濃部都政など)、新左翼の誕生など。しかし、日本の政治を左右するものにはならなかったので、ここでは触れない。

 池田・佐藤政権の後を継いだのが、田中派(佐藤派を乗っ取った)、大平派(池田を継ぐ)、福田派(岸に由来)、中曽根派(河野一郎派だが、思想的には違う)、三木派の5大派閥だった。1972年7月の総裁選では、「三角大福」の4候補が立ったが、金にものを言わせた田中角栄が制した。田中は市民党内よりも一般大衆の受けがよく、政策についての決断が速かった。2月にニクソン訪中に合わせる形で、北京に飛び、日中国交正常化の合意を行った。中国が戦時賠償請求を放棄し、日米安保にふれない、という周恩来の大人の対応で合意した。尖閣問題は棚上げとなったが、後日石原慎太郎の攪乱に載せられた民主党内閣が国有化し(2012年)、いまだに日中間の最大のわだかまりとなっている。田中角栄は威勢のいい言動で人気があったが、地味な仕事もした。例えば、1973年を「福祉元年」とするように、年金の物価スライド制導入がなされ、社会保障関連予算は前年比29%増であった。しかし、最大のスローガンであった「列島改造論」が、第4次中東戦争と第一次石油ショックによって腰砕けになった。さらに、文芸春秋の1974年12月号に載った、立花隆田中角栄の研究」によって、公共工事予定地の転売による錬金術が糾弾され、田中は失脚することになった。

 

ここで大体半分ぐらい来たので、ブログにアップします。引き続き、後半を書きます。

 

240211投稿

原核生物プリオン

プリオンは様々な真核生物、すなわち動物、ショウジョウバエ、Aplysia、そしてArabidopsisにもその存在が報告されている。では、原核生物はどうか。

 プリオン検索のためのapplicationがKingとLindquistの研究グループによって開発されている(文献44)。PLAAC (prion-like amino acid composition)といい、検索しようとするアミノ酸配列を入力すると、自動的にスコア付けを行う。Yuan & Hochschild(文献45)はこのツールを利用して、60,000の細菌のゲノムを検索し、candidate prion-forming domains (cPrDs)を同定し、もっとも有望なcPrDとしてClostridium botulinum E3 strain Alaska E43のthe transctiption termination factor Rho (Cb-Rho)にある68アミノ酸配列を選んだ。Rhoはhexameric helicaseで、RNA polymeraseによる転写の終結因子である。cPrDをを¥含むCb-Rho領域をE. coliに発現させると、amyloid系の会合物を作る。また、cPrDは酵母Sup35のPrDと入れ替えたキメラタンパク質は、酵母細胞中でSup35と同等の機能を発揮することが示された。

 Cb-Rhoが大腸菌中で、プリオン構造と非プリオン構造の間の遷移を示すかどうか調べた。レポーターlacZの前にrho-dependent terminator tR1を置いて、rhoが発現するとlacZの発現が減るシステムで、rhoの発現量を見る。Cb-Rhoはプリオン状のときはterminator活性が減るので、lacZの発現が増す、という仕組みである。

 大腸菌のrhoをCb rhoで代替できないので、Cb-rho NTD(N端半分)とE. coli-rho CTD(C端半分)のキメラで代用したが、置換株は生育が遅かった。そこで、さらにキメラrhoをプラスミッドにのせて入れた。このややこしい株をプレートすると、lacを高発現するコロニーと低発現するコロニーが出現した。この結果は、Cb-rhoを有する株がプリオン状態をとるコロニーと非プリオン状態をとるコロニーの両方を含むことを示している。Lacを高発現するコロニーの細胞の抽出液にはRhoタンパク質の凝集体が認められた。Cb-rhoがプリオン状態のコロニーをresuspendしてプレートすると、大部分のコロニーはCb-rhoがプリオン状態を維持していた(120世代以上安定に維持される)。しかし、酵母Hsp104のorthologであるdisaggregase ClpBを追加発現させると、lacの発現が顕著に減少した(Cb-rho活性が回復した)。

 酵母のSup35がプリオン状態のとき、多くの表現形質に変化が認められた。同じように、Cb-rhoがプリオン状態のとき、転写終結活性の減少によって、大腸菌のtranscriptomeに変化が誘導されることが予想される。しかし、この重要極まりない解析は、まだ著者たちは行っていない。

44. Lancaster, A K et el. Bioinformatics 30: 2501 (2014).

45. Yuan, A H & Hochschild, A. Science 355: 198 (2017)

240208投稿

酵母発現形質がプリオン依存性から非依存性に変わる

これまでに、Lindquistたちの研究によって、次のことが明らかになった。すなわち、プリオンによって新しい多様な表現形質が作られる。これはepigeneticな変化であるが、genetic backgroundを変えることによって、プリオンに依存しない遺伝的形質に変化し、安定に子孫に伝達される。[psi-]株は10-6の頻度で、自動的に[PSI+]に変換するし、[psi-]が増殖に適さない環境変化に遭遇したとき、微量の「PSI+]細胞が新環境に適していれば、それらは生き残ることができる。[PSI+]は適応の範囲を拡張しているといえる。[PSI+]の他にも多数のプリオンが研究室で使われている酵母で見出されており、[PSI+]と同じように、多様な表現形質の発現にかかわっている。しかし、これまで、[PSI+]のプリオンなどは、野生株の酵母には、ほとんど見出されていない。

 そこで、690の野生株をスクリーニングして10株にSup35タンパク質がプリオン状で存在する([PSI+]である)ことを見出した(文献43)。スクリーニングはプリオン凝集体がionic detergentsに溶けない性質を利用し、anti-Sup35抗体で検出した。これらの10種の[PSI+]株が必ずしも近縁の株ではないことも確認した。さらに、[PSI+]株と同定された細胞をグアニジン塩酸処理、あるいはHsp104のdominant negative変異の導入によって、amyloidが消失するので、野生株の[PSI+]がプリオンであることを確認した。[RNQ+]はこれまでに、唯一知られていた、野生株のプリオンであるが、[PSI+]株は、常に同時に[RNQ+]であった。[RNQ+]はprion-inducing factorとして働いている。

 以上のような手法で見出した[PSI+]野生株を、いろいろな炭素源、高浸透圧、pH変化、抗菌剤存在下などでの増殖を、同じ野生株の[psi-]と比較してみると、異なる場合がかなり認められた。これは、酵母の実験室用の株で得られた知見とまったく同じであった。

 多様なgenetic backgroundを有する様々な実験株を交配することによって、[PSI+]依存性の表現形質が[PSI+]非依存性に変わることは、すでに紹介した(文献35、42)。例えば、野生株UCD978は予期したように、かなりのheterozygosityを有し、DNA配列からpolymorphicであることが示された。30個のhaploidコロニーについて、agar platesに対する接着性を調べた。5コロニーが[PSI+]依存性接着を示し、20コロニーが[PSI+]に関係なく接着性を示さず、残る5コロニーは[psi-]で接着性を示した。この結果は、野生株UCD978は自然界において遺伝的な多様性を有し、いくつかの遺伝子のpolymorphismsがあると考えられる。また、プリオンがgenotypeとphenotypeの関係を変化させることも明らかになった。

43: Halfmann, R et al. Nature 482: 363 (2012)

 

240202投稿

雑録4.映画評 是枝裕和監督「海街diary

是枝監督の映画で、僕の一番好きな作品である

吉田秋生少女コミック海街diary」を原作とする、鎌倉に住む幸田三姉妹とその異母妹の物語である。この映画は、葬式で始まり、葬式で終わる。原作のはじまりは葬式であるが、終わりにも葬式をもってきたのは是枝の趣向である。15年前に三姉妹の父親は女を作って離婚し、家を出て仙台に移り住んだ。次いで母親も別の男と所帯を持ち北海道に行ってしまった。父親と女には娘ができたが、女は死んでしまった。父親は再再婚し、山形の温泉宿に娘ともども移り住んだ。その地で父親が病死し、その葬式が縁となって、三姉妹は14歳になった異母妹を引き取って、鎌倉で一緒に暮らすことになる。

 長女の幸(綾瀬はるか)は病院の看護師、次女の佳乃(長澤まさみ)は信用金庫の職員、三女の千佳(夏帆)は小さいスポーツ用具店の店員をしている。異母妹は浅野すずと言い、広瀬すずが演じている。すずは、仙台で全国的にも知られるジュニアー・サッカーのチームでレギュラーをしていた。鎌倉にもジュニアー・サッカーのチームがあり、彼女はそこに入ることになる。原作では、このチームにはキャプテンで、容姿凛々しい男子選手がいて、その子の脚に腫瘍ができて、脚を切断するという大変な話になっている。当然、すずもその子に惹かれる。是枝は原作の少女コミック的なところを意図的に映像に残そうとしているが、さすがにこの話はスルーした。幸は同じ病院の小児科医の椎名(堤真一)と付き合っているが、椎名には精神を病んだ妻がいて別居している。椎名は自己の技量のレベルアップのためにボストンの小児科病院に行くことになり、幸に一緒に行ってくれと求愛するが、幸は鎌倉に残ることを選び、断る。このあたりは、鎌倉花火大会をはさんで、さらっと描いている。同じころ、幸は病院に新設されるターミナル・ケアの部署に移ることのオファーがあり、それを受ける。次女の佳乃は、演じる長澤まさみが容姿端麗すぎて違和感があるものの、幸との口喧嘩などから幸田家の一女としての存在感がある。彼女の上司(加瀬亮)は元都市銀行に勤めていて、訳あって転職してきたのだが、意味ありげだがなにも描かれない。ただ、信金で仕事をする二人は、鎌倉の街で事業や商売をする人たちとなじんでいる。三女の千佳は勤め先のスポーツ用具店の店長と公然の仲で、コミック的な役柄になっているが、その分、存在感がない。映画の最後のシーンは七里ガ浜だが、浜辺で4人の姉妹がたわむれて、それぞれの50年後にどうなっているかなど語り合うが、一人だけ問われなかった千佳が「ねえ、私にもきいてよ」と言う役柄がいい。姉妹たちの父親は、映画には一度も登場しない。突然、母親(大竹しのぶ)が祖母(実母)の七回忌の法要に戻ってきて、長女幸とひと悶着がある。その原因はわからないが、母親が持参した土産(すずにもあった)と幸田家の梅酒のおかげで、お互いが少し理解しあった。雨の中、二人が墓参する寺のあじさいに埋まるような参道の情景が美しく描かれている。

 僕がこの作品が好きなのは、普通の家庭料理が描かれているからである。すずが鎌倉に到着したときの昼食は、幸が揚げた野菜かき揚げのてんぷらそばだった。そして、浅漬けが添えられていた。母親が姉妹に教えたカレーは、シーフードカレーだけだった。なぜシーフードかというと、煮込まなくていいからだという。もう一つ、千佳が作り、すずと食べたのが、おばあちゃんがいつも作ってくれた“ちくわ”カレーで、姉妹たちにとっては懐かしい味らしい。すずのサッカー友達の家が沿岸漁師で、仲間と一緒にしらすの釜揚げを手伝い、生しらすを土産にもらって帰宅し、三姉妹と丼にして食べた。佳乃が「生しらす丼はここでしか食べられないよ」と言い、すずもそれに合わせて「はじめて食べた」と答えた。しかし、すずは千佳に、ちくわカレーを食べながら、「私嘘をついていた。しらす丼はお父さんが仙台にいたとき作ってくれた」と話した。しらす丼は父親にとって鎌倉の懐かしい味だったようだ。ただ、すずが仙台で食べたのが、本当に生しらす丼で、普通のしらす干し丼ではなかったのか、映画でははっきり描かれていない。仙台で生しらすが手に入るかどうか、ネットで調べてみると、確かに名取漁港で手に入るらしい。名取は3.11東日本大震災で壊滅的な破壊を被った土地で、宮城県立がんセンターがあり、僕も一度訪問したことがあるが、海に向かって開けた大きな平地だった(がんセンターは少し高台にあった)。

 近所に「海猫食堂」という鯵フライがおいしい食堂があり、すずたちもサッカー仲間とよく出かけている。この食堂の女主人さち子(風吹ジュン)は資金面などで、佳乃の信金の世話になっている。さち子は末期がんに罹り、幸が担当しているターミナル・ケア病棟に入り、亡くなる。これが、映画末尾の葬式となる。

 ここまで書いてきたのに、すずが一番親しくしているクラスメートであり、サッカーのチームメートでもある尾崎風太前田旺志郎)についてなにも触れなかった。風太はすずに淡い想いを寄せており、すずもそれに気づいている。二人の関係は、少女コミックに出てくる、「あいつら二人は眼で合図しあっているぜ」とか、「お前ら、付き合っているんだって」といった少年や少女たちの会話の中身そのものである。僕は少年のときから、こういう話にまったく興味がなかったので、ここでも風太に触れなかったわけだ。しかし、原作でも映画でも、すずと風太のペアが「海街diary」の物語の基底を作っているのは間違いない。鎌倉の古い一軒家に住む三姉妹と青春入門のペアが織りなす軽い不協和音的なものが、僕にちょっとした刺激を与え、飽きさせないところのようだ。

追記:この映画の音楽を担当したのが菅野よう子で、NHK東日本大震災プロジェクトのテーマソング「花は咲く」の作曲家として知られる。

 

 

240130

プリオン[PSI+]による表現形質のheritableな変化

True & Lindquistは文献35において、プリオン[PSI+]が、酵母細胞のgenotypeとphenotypeの関係を支配するepigenetic mechanismの範疇に入り、いわゆるphenotypic plasticityの概念を広げることを、実験結果に基づき論じた。しかし、以下の点であいまいさが残った。

1.S. cerevisiaeには、[PSI+]の他にも何種類かのプリオンが同定されているが、塩酸グアニジン処理はそれらのすべて除いてしまう。それ故、[PSI+]だけの効果を見るには、塩酸グアニジンによる方法は使えない。

2.[PSI+]は翻訳終結コドンを読み飛ばしが起こるので、異常なタンパク質が生じるであろう。この異常タンパク質が細胞の表現型変化の原因かどうか。

3.[PSI+]プリオンはそれ自体でaggregatesを作るので、phenotypeに影響を与えるであろう(動物細胞のプリオンが引き起こす神経変性のような)。

 

これらの問題について、以下の対応をした(文献42)。

1A.SUP35遺伝子のNM領域(プリオン決定領域)を欠損させた株を作ることにした。また、別のプリオン[RNO+]の効果だけを見るのに、RNQ1遺伝子の一部を欠損させプリオン[RNQ+]の効果だけを除くこともできる。

 5V-H19の[PSI+]株は3mM paraquatに抵抗性を有するが、同じ株の[psi-]細胞は抵抗性がない。5V-H19株のSup35からNM領域を欠損させると、薬剤抵抗性は消失した。さらに、[psi-]細胞のSup35タンパク質に強いnonsense suppression能を付与した変異sup35C653Rを入れると、細胞は薬剤に抵抗性を示した。

2A. 5V-H19[PSI+]はHydroxyurea (HU)に対する感受性が[psi-]株よりも高い。[psi-]にnonsense suppression増強変異sup35C653Rを導入すると、HU抵抗性が弱まった。

3A. sup35ΔNM(NM領域の欠損変異Sup35タンパク質)とNM-GFPを[psi-]株に発現してもparaquat抵抗性は現れなかった(NM-GFPはaggregateを作る)。

 

5V-H19 [PSI+]は[psi-]よりも100mM hydroxyurea (HU)に対する感受性が高い。[psi-] sup35C653Rは[PSI+]よりさらにHUに対し感受性が高い。これらの結果は、Sup35にreadthrough機能を付与すると、薬剤に対する感受性が変かすることを示している。さらにいくつかの実験結果を踏まえて、著者たちは、[PSI+]に付随する表現形質は、translationにおけるread-throughによるもので、他のプリオンの存在あるいはprotein aggregationのせいではない、と結論をつけた。

 

5V-H19[PSI+]のparaquat抵抗性がtranslation readthroughによるものとしても、どのようなgenetic backgroundがそれを支えているかを調べるために、[PSI+]でも[psi-]でもparaquat感受性のD114-1A株と交配してみた。Tetradsが2:2に分離したのは、16tetradsのうち2つだけだった。多くは感受性が中間値を示した。すなわち、paraquat抵抗性になるには、translation readthroughに加えて、複数の因子が必要であることを示している。

 

[PSI+]-dependentな10mM caffeine抵抗性が[PSI+]-independentな抵抗性に変わることが認められた。5V-H19[PSI+]株をグアニジン塩酸処理あるいはHSP104欠損によって[psi-]に変えると、caffeine抵抗性は弱くなるが、残存した。5V-H19を[psi-]でcaffeine-sensitiveなW303とクロスすると、テトラッドの中に、[psi-]で強い抵抗性を示す個体が得られた。また、74-D694[PSI+]を74-D694[psi-](caffeine-sensitive)とクロスすると、[psi-]で抵抗性をしめす胞子が得られた。テトラッドの分離比は2:2でない場合が普通だった。同じcaffeine抵抗性でも、[PSI+]依存性の場合と、依存しない場合があることが明らかとなった。この違いは、genetic backgroundの違いに由来すると考えた。

 

以上の研究から、次の結論がでる。

1.genetic backgroundが変わらなくても、[PSI+]から[psi-]に変化することで、表現形質が変わることがある。つまり、[PSI+]はepigenticな機構によって、表現形質を買えることがある。

2.同じ[PSI+](あるいは[psi-])であっても、genetic backgroundの違いによって、表現形質が変わる場合もある。

[PSI+]と[psi-]は互いに10-5 to 10-7の低頻度で自然に変換する。したがって、大きな酵母細胞の集団には、異なる表現形質を示す個体群が共存している。このことは、環境の変動に対応し、適応する上で有効であろう。Hsp90の場合は、ストレス刺激を表現形質の選択継代によって、遺伝子allelesの組み合わせおよびepigenetic状態の変化を通じて、新しい表現形質が固定したが、プリオンの場合はsingle stepで新規表現型に至ることがわかった。

 

注:論文のFig.3aのparaquat 3mMはcaffeine 10mMの間違い(あるいは図の説明が間違っているか)。

  1. True, H. L. et al. Nature 431: 184 (2004)

 

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今回は、新型コロナmRNAワクチンについて、最近出た論文を紹介する。

COVID-19 mRNAワクチンは実際にわれわれが何回も接種を受け、恩恵に浴してきた。2023年のノーベル生理医学賞が、Kariko博士とWeissman博士に授与された。このグループが開発したmRNAワクチンにはいろいろと工夫がなされていて、その一つがN1-methylpseudouridineを利用することであった。ChatGPT3.5によると、pseudouridineをuridineの代わりに使うと、①mRNAに対する免疫反応を抑制でき、②mRNAの体内における安定性を増加させ、③translationを改良する、と明快な説明がある。また、N1-methylpseudouridinについては、2022年1月までの知見によれば、という説明が正直に書いてある。N1-methylpseudouridineを利用したCOVID-19に対するワクチンの有効性は学術的に証明されている(例えば、Kim et al.の論文、Cell Reports, Aug. 30, 2022)。しかし、最近Cambridge大学が中心となって進められた研究は、N1-methylpseudouridineをmRNAに使うと、ribosome上でのtranslationの際に+1 frameshiftが起こるおこることを示した。その論文を以下に紹介する。

Mulroney, T. E. et al., 1N-methylpseudouridylation of mRNA causes +1 ribosomal frameshifting.  Nature 625: 189-194, 4 January 2024.

 

既に報告されているように、Ψ(pseudouridine)はmRNA stopを読み違える。一方、1-methylΨはそのようなmissreadingを起こさないようだが、タンパク質合成のrateを遅くし、mRNA当たりのribosome densityを増加させ、結果としてframe-shiftなどでtranslationに影響すると考えられる。modified ribonucleotidesがmRNA translationの正確性に与える影響についての知見は十分ではない。これらの知見の不足は、合成したmRNAを実際の医療に使用する上で障害となるであろう。実際に1-methylΨは世界中で使われているBNT162b2, a SARS-CoV2 mRNAワクチンなどに使われている。そこで、Cambriridge大学が中心となって行った研究の報告が出た。この論文では、1-methylΨを使うと、+1のribosome frame-shiftが起こることを、モデル系を使って証明した。また、BNT162b2ワクチンをマウスおよびヒトに接種したとき、spikeタンパク質の+1 frame-shift産物に対するT細胞免疫応答が起こることを示した。

 

まず、in vitroのタンパク質合成系で、1フレームシフトが起こったことを検出する系を構築した。ホタルルシフェラーゼ(Fluc)遺伝子から、コントロールとしてIn vitro-transcribed (IVT) mRNAsを作成した。次に、N端側の半分は正常のFluc配列だが、C端側の配列の前に1つ余分の塩基を入れ、+1 freme-shiftが起こるようにデザインした+1 frame-shift mRNAを合成した。後者のmRNAは正常に翻訳されれば、途中で1フレームシフトするので不活性のFLucができる。もし翻訳機構がなんらかの理由で、1つの塩基の読み飛ばしをすれば、活性をもったFLucが合成されるという仕組みだ。

 

FLuc+1FS mRNAをreticulocyte系でin vitro translationすると、活性のあるFlucは合成されなかった(Western blotで見ると、タンパク質は合成されていた)。1-methylΨ取り込ませたFluc+1FSmRNAをin vitro translationさせると、活性のあるFlucが合成された。この結果は、1-methylΨを含む+1 FSmRNAで1塩基読み飛ばしが起こったために、+1 FSのあるmRNAから活性のあるFlucが合成されたことを示している。1FS起こしたFlucタンパク質は、in-frameでtranslateされたタンパク質の8%に達した。また、HeLa cellsに上記のmRNAsをtransfectしても、1-metylΨを含むFluc+1FSmRNAから活性のあるFlucが合成された。

 

1-methylΨはBNT162b2, a SARS-CoV2 mRNAワクチンに使われている。マウスにBNT162b2を免疫し、SARS-CoV-2 spikeタンパク質 (overlappind peptide pools)および+1 FS産物 (peptides pools) に対するT細胞の応答を調べた。Splenocytesを+1FS spike productに対する反応をIFNγELISpot assayで調べたところ、BNT162b2免疫したマウスが明確な反応を示した。免疫していないマウスあるいは別のワクチン(ChAdOx1 nCoV-19)を免疫したマウスのsplenocytesは反応を示さなかった。2種のワクチンを接種したマウスのsplenocytesはどちらもspike peptidesに反応した。

 

実際に   mRNAワクチンを接種したヒトのT細胞に1FSしたペプチドに対する反応性があるかどうかを調べた。ビオンテック/ファイザー社のBNT162b2ワクチン接種した20人とアストラゼニカ社のウィルスベクラーワクチンChAdOx1 nCoV-19を接種した20人、それぞれの血液細胞(peripheral blood mononuclear cells)が、1FS抗原と反応するか否かをIFNγ ELISpotテストで調べた。どちらのワクチンを接種した人の血液細胞もin-frame SARS-Cov-19 spikeペプチドに反応したが、BNT162b2を接種した人の細胞は+1FS抗原にも反応を示した。この+1FS抗原に反応する反応は、接種した人の性別、年齢、HLA subtypeとの相関は認められなかった。

 

+1 ribosomal frame shiftが実際にmRNAのどの位置で起きたのかを調べた。1-methylΨFluc+1FS mRNAをモデルに使った。このmRNAをreticulocyeの系でtranslateし、FSの結果生じたと考えられるメインバンドをゲルから切り出して、トリプシン消化ペプチドにし、LC-MS/MS(マススペクトル)解析を行った。その結果、6個のin-frame peptides(N端側にマップされる)と9個の1FS peptides(C端側にマップされた)を得た。予期したように、1methylΨFluc mRNAのtranslate産物からも、短いFS peptidesが少量得られた。これらは、1methylΨの影響と考えられる。

 

論文著者らは、このframe-shiftがどうして起こるのかを追求した。1-methylΨ WT Fluc mRNAとWT Fluc mRNAのtranslationを比較した。予期したように、modified mRNAのelongationが遅かった。Paromomycinを使った実験などから、著者たちは、1-methyΨ mRNAのtranslationが遅いのはribosomal stallingによるもので、このときamino-acyl tRNAが1-methylΨを1つ飛び越して、次のmRNAの配列に結合してしまうらしい(本論文の解説:nature 625:38, 2024 N&Vに図解してある)。この結果、FSが以降の配列に生じる。

 

1-methylΨ Fluc mRNAのin vitro translation産物の中に、Fluc+1FS mRNAの産物と同じサイズの短いペプチドを見つけた。mRNA配列決定から、この短い産物に相当する部位を同定した。その部位のmRNA配列には、3つのpotential ribodome slippery sequencesが認められた。aaag, uuuc, uuuuの3つである(このuは1-methylΨである)。この塩基配列は1つslipしても、それぞれ同じLys, Phe, Pheをcodeしている。BNT162b2-spike-mRNAの配列には、uuucが6か所、uuuuが2か所認められる。これらの配列が+1 ribosomal frameshiftのsitesと著者たちは考えた。

 

これらの配列を、In frameではコードするアミノ酸は変わらないが、1+framefhiftすると別のアミノ酸のコードになるように変える。それによって、ribosome slippery配列をなくしてしまう。つまり、aaag→aagg, uuuc→uucc, uuuu→uucuと変えた(コードが一つずれるとGlu, Leu, Leuになる)。

 

Aaagのsiteで1FSが起きると直後にstop codon (uga)ができてしまうので、1-methylΨによる1FSがここで起こったとは考えにくい。また、aaag→aaggと変えても、活性のあるレポーターFluc(+1FSが起こると活性をもつFlucが合成される)が合成されるので、このsiteで1-methylΨによる+1FSが起きたとは考えられない。後者2か所は、上記の配列変化によってレポーター活性が認められなくなった。すなわち、1-methylΨによる+1FSはこれらのsitesで起こったと言える。すなわち、上記の塩基配列の改変によって1-methylΨによるframe^shiftを防ぐことができる。この技術は、mRNAを利用する医療手法の開発に有用と思われる。