2024年10月31日 投稿

第三章 ネーション

2.共同体の代補

前項によると、ネーションを作ったのは国家や資本のように思える。しかし、ネーションは、それにもかかわらず、それ自体が資本=国家に対抗するものとして生まれたのである。ネーションのこの反発は、いわば感情(sentiment)という次元に基づくといえる。フランス革命では、自由・平等・友愛というスローガンが唱えられた。ここで、自由と平等は合理的なものであるが、「友愛」は違う。それは、個々人の間の連帯の感情を意味する。ネーションに必要なのは、このような「感情」である。それは、家族や部族共同体の中での愛とは別の、むしろそのような関係から離脱した人々の間に生まれる、新たな連帯の感情である。これは問題を心理学に還元することではなく、感情というかたちでしか意識されない「交換」を見ることを意味する。

 マルクス主義者は、ネーションは近代資本主義的経済構造(下部構造)によって生み出されたイデオロギーでしかない、と見ていた。つまり、啓蒙によって解消されるべきものであった。しかしながら、ネーションを軽視したマルクス主義者の運動は、ナショナリズムを掲げたファシズムに屈しただけでなく、社会主義国家自体がナショナリズムを掲げ、互いに抗争するに至った(中ソの対立、中国とベトナムの対立など)。ベネディクト・アンダーソンは、ネーションは宗教に代わって、個々人に不死性・永遠性を与え、その存在に意味を与えるものとした。

 キリスト教であれ、仏教であれ、普遍宗教は共同体に対抗して生まれたものだが、現実に共同体に根を下ろそうとすれば、その要求を満たさなければならなかった。つまり、普遍宗教は農業共同体の宗教と融合した。したがって、共同体の解体は、普遍宗教の本来的性格を取り戻した。

 啓蒙主義は、18世紀の西ヨーロッパで、従来の封建社会の中でのキリスト教的世界観に対抗し、合理的な世界観にもとづく人間性の解放をうたった。しかし、実際には、ドイツやロシアで支配的だったのは、“啓蒙専制君主”であった。絶対王権が国内を統合するために、ローマ教会など外的な権威を否定する啓蒙主義を必要としたのである。啓蒙主義は絶対王権のイデオロギーであり、それが推進したのは資本=国家を強化することにあった。これに伴い、農業共同体を解体していった。

 これに反撥としてロマン主義が出てきた。ロマン主義は、資本=国家に対する批判、また、それによって解体されてゆく共同体とその互酬原理の回復、という意味を含んでいた。ロマン主義は両義的であり、ノスタルジックな復古主義という側面と、資本=国家の批判という側面を併せ持っていた。

 アンダーソンによれば、資本=国家による共同体の解体は、それが持っていた「永遠」を保証する世代間のつながりを消滅させてしまった。死んだ先祖とこれから生まれてくる子孫の間にも互酬的な交換が想定されていたが、それが亡くなった。この時間の連続性を想像的に回復するのがネーションなのである。「国民」は、現在いる者たちだけでなく、過去と未来の成員を含むのである。ナショナリズムが過去と未来にこだわるのはそのためである。ヘーゲルは「法の哲学」で、ホッブス的な国家を「悟性的国家」とよんだが、それは、そこに「感情」が、また「ネーション」が欠けていることを指摘した。ヘーゲルの考えでは、資本=ネーション=ステートこそ、「理想的国家」なのである。