2024年12月2日 投稿

第三部 近代世界システム

第四章 アソシエーショニズム

1.宗教批判

これまでに、柄谷は、交換様式Dが普遍宗教としてあらわれたこと、それゆえ、社会運動もまた 宗教の形態をとってあらわれた、と述べている。例えば、水平派(Levellers)という党派は、没落しつつあった独立小商品生産者の階級を代表しており、また、開拓派(Deggers)は農村のプロレタリアを代表した共産主義的組織であった。しかし、彼らの主張は「至福千年」という宗教理念として語られた。

 これらの急進的な党派は絶対王政を倒す過程までは大きな役割を果たしたが、クロムウェルの政権によって排除され、さらに王政復古から名誉革命を経て、立憲君主制が確立された。この時点で、イギリスのブルジョア革命は完結したといえる。この中で、ピューリタン革命にあった社会主義的な要素はしばしば表面に現れた。             

 フランス革命(1789年)には、ピューリタン革命のような宗教的な色調はない。しかし、19世紀以降も、社会主義的運動はいつも宗教的な文脈と結び付けられていた(例えば、サン=シモンの社会運動)。一般に、社会主義者のあいだでは、イエス社会主義者であり、原始キリスト教コミュニズムであると、考えられていた。このように、宗教的な社会主義が大勢であった1840年代に、ピエール・ジョセフ・プルードン無政府主義者の父)は「科学的社会主義」を唱えた。それは、社会主義を、宗教的な愛や倫理ではなく、「経済学」に基づいていた。彼は、労働力商品に基づく資本主義経済を、国家による再分配を通した平等化ではなく、労働者の互酬的な交換関係を作ることで揚棄しようとした。ここでは、交換様式Dには、もはや宗教色はない。19世紀末に、「科学的社会主義」を唱えたエンゲルスとその弟子カウツキーが、あらためて社会主義と宗教のつながりを回復させようとしたほどまでに、徹底的なものだった。

 ここからが、柄谷の持論である。プルードンに先立って、宗教を批判しつつ、なお宗教の倫理的核心すなわち交換様式Dを「救出」する課題を追求した思想家がいた。カントである。カントは「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」という格率(Maxime)を普遍的な道徳法則であると考えた。他者を「目的として扱う」とは、他者を自由な存在として扱うことであり、他者の尊厳を認めることである。他者は自分の自由のための手段ではなく、自由のための互酬的存在なのである。カントは、教会あるいは国家・共同体の支配装置と化した宗教を批判否定した。一方で、それが普遍的な道徳法則を開示する限りにおいて、宗教を肯定した。

 カントが言う道徳法則は、主観的な道徳の問題ではなく、社会的関係にかかわっている。例えば、資本主義経済における資本と賃労働の関係は資本家が労働者を単なる手段(同動力商品)として扱うことによって成り立っている。これでは、人間の「尊厳」は失わざるをえない。ゆえに、カントのいう道徳法則は、賃労働そのもの、資本制的生産関係の揚棄を含意するのである。この考えの背景には、当時カントがいたドイツの都市ケーニヒスベルグにおいて、単純商品生産者(職人)が中心のところに、資本主義的生産が始まりかけていた状況があった。そこで、カントは小生産者たちの共同組合(アソシエーション)を考えた。そのため、新カント派哲学者ヘルマン・コーヘンは、カントを「ドイツ最初の真正社会主義者」とよんだ。実際には、この段階のアソシエーションはたちまち抑圧されてしまったが、社会主義の核心をつかんでいたと言える。それは、分配的正義、つまり再分配によって富の格差を解消することではなく、そもそも富の格差を生まないような交換的正義を実現することである。カントはそれを「義務」とみなし、互酬的交換の回復が、人々の恣意的な願望ではなく、「抑圧されたものの回帰」として、到来することを把握していた。

 柄谷は書いている。重要なのは、カントのいう道徳性は、国家の揚棄を必然的に含むということである。彼は、世界史が「世界市民的な道徳的共同体」、つまり「世界共和国」に向かって進んでいると考えた。しかし、人間の自然状態は戦争、あるいは敵対行為によって絶えず脅かされている状態である。それゆえ、「平和状態は創設されなければならない。」

 平和状態は作り上げなければならない、という前提では、カントはトマス・ホッブスと同じである。しかし、ホッブスは、主権国家(リヴィアサン)によって平和が実現されると考えたが、それは一国内だけの話である。一方、カントは国家間に平和状態を創設しようと考えたのである。カントが、世界史が「目的の国」ないし「世界共和国」にいたるということを「理念」として見たことだ、と柄谷は書いている。理念は仮象であるが、それが感性によるものであれば、理性によって修正できる。もし、理性が生み出す仮象であれば、それは理性では正せない。これをカントは、超越論的仮象とよんだ。例えば、同一の自己があるというのは仮象である。しかし、それがないと、人は統合失調症になる。同様に、歴史にも目的があるというのは仮象であるが、これがないと、やはり統合失調症になる。結局、人はなんらかの目的を見つけなければならない。

 カントは、理性の構成的使用と統制的使用を区別した。カントは構成的使用を数学の比例に、統制的使用を哲学の類推(アナロジー)に比した。数の比例では、3つの項が与えられれば、第4項は確定する。これが構成的の意である。しかし、類推においては、第4項に当たるものを経験の中に探索する指標(index)が与えられるだけである。歴史がこうだったからといって、今後もそうだとは言えない。しかし、そうであろうと仮定して対処することが、統制的(regulative)な理性の使用である。「指標」はあくまで仮定を含むが、ただやみくもに進むのとは違う。具体的に述べると、理性を構成的に使用するとは、フランス革命の恐怖の独裁者ロベスピエールジャコバン主義者)のように、理性に基づいて社会を暴力的に変革する場合である。それに対して、理性を統制的に使用するとは、無限に遠いとしても、人が指標に近づこうとする場合である。カントの世界共和国は、後者である。これははるか遠い理念なので、カントは漸進的な実現可能な具体案を考えていた。それは、諸国家連邦である。しかし、これが国家の揚棄につながる、国家のアソシエーションの形成に至るかは、柄谷は本書の最後に検討するとしている。

 柄谷の頭には、欧米の先進資本主義国家に対する、一国社会主義(ロシア、中国)や宗教的原理主義的社会(イスラム諸国)の発展と存在があると思われる。