2025年1月4日 投稿

第四章 アソシエーショニズム

3.経済革命と政治革命

相互の合意による交換にもとづく資本制経済において、なぜ不平等が生じるのか。プルードンによれ、労働者たちは協業と分業において個々人がもつ以上の「集合力」を発揮するのだが、その割り増し分に対しては支払いを受け取れず、資本家がその未払い分を収奪する。不平等はここから生じる(註:これは、会社が成り立つ一番の基盤である。生産に使用する機械などは、労働者が提供するのではないことにも注意)。

 資本家が労働者を働かせるのは、領主が農奴を働かせるのとは違って、強制ではなく、自由な合意にもとづいている。しかし、これは支配―被支配関係がなくなったことを意味しない。この支配―被支配の関係は、労働力商品を売るものは貨幣をもつ資本家と対等な関係ではないことに起因する。プルードンによれば、真の民主主義は政治的なレベルだけではなく、経済的なレベルでも実現されねばならない。フランス革命は、王権は廃止したが、経済的には「貨幣の王権」が残った。プルードンが「貨幣の王権」を廃棄するためには、貨幣の代わりに、代替貨幣と信用金庫を創出することとした(註:これがよくわからない)。代替貨幣には、貨幣のような特権的な力がなく、利子もない。このような貨幣にもとづく交換は、相互的であり「盗み(より多く取る)」はない。これは不平等を生まないシステムであるから、「経済革命」である。資本は労働者を雇い、協業と分業によって、個々の労働者がもたない「集合力」をもたらす。ただ、この生産システムには“疎外”された形態をともなう。もし、そのような疎外状態を廃棄できれば理想的である。このことを、プルードンは考えていた。柄谷の書いている通りに書くと、プルードンは、「われわれの前に現象している世界」の深層に、社会的労働の生み出す「諸力の均衡に由来する連帯性」、諸個人の「自発性」と「絶対的自由」によって形成される「真の実社会」があると考えたのである。このような考え方は、1840年代にドイツの青年ヘーゲル派の間で風靡した「疎外論」と同型である。同派のフォイエルバッハは、宗教において人間の本質的存在が疎外されていると主張した。モーゼス・ヘスやマルクスは、同じ批判を国家や資本への批判に転化した。ここまでは、マルクスプルードンは同じ思想を持っていたと言える。しかし、柄谷が引用している、1846年にプルードンが、共同で行動しようというマルクスの申し出を断った手紙からわかるように、二人の実際の行動方向に決定的な違いが生まれた。

 プルードンは、マルクスが、いかなる改革も実力行使なしには、「かつては革命と呼ばれていたが、せいぜいのところ動乱でしかないもの」(プルードンがこう書いた)の助けなしには、不可能だという考えを、(マルクスが)まだ持っていると指摘し、自分もかつてはそう考えたが、いまはその見解を棄てた、とした。要するに、プルードンは政治革命を棄てたというのだ。プルードンは、「ある経済組織によって社会から取り上げられた富を、別の経済組織によって社会に変換すればいい、とした。

 マルクスが政治革命の必要だとしたのは、国家主義者だったからではない。資本主義経済が法制度や国家政策によって保護されている以上、少なくとも一時的にそれらを停止しなければならない。そのためには、国家権力を掌握しなければならない、と考えた。プルードンも、その後、政治革命なしに経済革命は実行できないことを認めた。プルードンは、1848年2月革命で実現した補欠選挙に立候補し、議員となった。そして、「交換銀行」設立案を国民国会に提起した。1849年、自分の新聞でルイ・ナポレオン大統領を批判したため、禁固刑を受けた。

 プルードンの死後だが、1871年パリ・コンミューンにおいて、プルードン派は国家権力を奪取する蜂起を決行し、プロレタリアート独裁の自治政府を宣言した。2か月後、ヴェルサイユ政府軍によって鎮圧されたが、以後の革命運動に強い影響を及ぼした。

 マルクスが国家権力の掌握を主張しだしたのは、2月革命時に、ブランキ派と接触したころからである。ブランキは、少数前衛の秘密結社によって革命を先導し「プロレタリア独裁」を実現することを、主張していた。彼はプルードンに同調しており、経済的な階級関係が消滅すれば、国家は消滅すると考えていた。また、前衛(党)が権力を握るのではなく、革命は大衆の蜂起によって起こり、大衆自身によって実行されねばならない、としていた。そのとき、少数の目覚めた前衛(党)が先導し、進む方向を示さなければならない。バクーニンは、マルクス国家主義者・集権主義者として糾弾したが、実情は違う。マルクスは、経済的な階級関係が消滅すれば、国家は消滅するだろうと、考えていた。だから、短期間の「プロレタリア独裁」は過渡的なものとして、許容した。しかし、以後の歴史は、国家の自立性は堅牢であり、国家の消滅などなかった。