2024年7月21日
第二部 世界=帝国
第四章 普遍宗教
1.呪術から宗教へ
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B 略取と再分配 (支配と保護) |
A 互酬 (贈与と返礼) |
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C 商品交換 (貨幣と商品) |
D X |
(図1)
これまで三つの交換様式(図1のA、B、C)によって成り立つ社会構成体について考察してきた。残る四番目の交換様式は、それらに対抗するものである。まず、これは、国家の原理(交換様式B)の対極的な位置にある。個々人が共同体の拘束から解放されている点が、市場的な社会(交換様式C)に似ている。さらに、資本の蓄積が発生しないような市場経済(互酬的な交換)を目指すという点で、交換様式A(共同体)に似てもいる。すなわち、交換様式Dは、市場経済(C)の上で、互酬的な共同体(A)を回復するものである。矛盾する言い方だが、交換様式Aは回復するけれども、個々人を共同体に縛り付ける力は持たない。この意味で、交換様式Cが先行しないかぎり、Dはありえない。
柄谷は書いている。「Dが他の交換様式と異なるのは、理念であって現実には存在しないということである」。これだけでは、なんのことか分からないが、先へ進もう。それ(D)は普遍宗教というかたちであらわれた。ウェーバーは、宗教の発展を呪術からの解放を尺度としてとらえ、それを社会経済史的な原因(氏族社会から国家社会への移行)から説明した。柄谷は、この変化を交換様式の変化という観点から見直す。
ニーチェは道徳や宗教の問題を「交換」の観点から見た最初の人である。しかし、彼は、互酬交換における債務と商品交換における債務を同一視する誤謬を犯している。互酬交換は債務感情に基づいているが、商品交換様式Cでは、まさに実際の債務が生じるために、むしろ債務感情は生じないのである
宗教的請願には、ウェーバーがいったように呪術と共通した面がある。神に贈与することで、反対給付を引き出そうとするからである。しかし、この互酬制は交換様式Bによるもので、交換様式Aである呪術と違い、支配者である王=祭司(超越的な神)に対してなされるもので、「平等主義的」要素はない。原都市=国家において、各氏族を服従させ統治するには、軍事的なものの他に、各氏族の神を統合した神を必要とする。つまり、このような宗教は国家のイデオロギー装置となっている。また、農業において、雨乞いをする祈祷師が必須の存在だったが、灌漑農業が行われているところでは、呪術師は必要でなく、代わって灌漑施設を作る国王が絶対視されるようになった。ウェーバーによれば、荒漠たる砂の中から収穫をもたらす国王を、「無から創り出す」神という概念の一源泉としている。しかし、このような神は超越的な神ではない。なぜなら、この神は人の請願=贈与に応えられなければ、棄てられるからだ。普遍宗教が出現するのは、請願に対して応じる必要のない神である。それはどのようにして生じたのか。
2.帝国と一神教
国家は他の国家との交通(交易と戦争)を経て、多数の部族・都市国家を包摂した広域国家となる。それが帝国である。この過程で、神が集権化・超越化される。この超越性は国家(王)の超越性に基づくので、国家が滅びると神も
滅びてしまう。エジプトの王アメノフィス四世(イクナトン)は、多神教を廃して、太陽神アテンを至高の唯一神とした。これは、当時、エジプトが領土を拡張し「帝国」となったことを反映している。しかし、イクナトンは死後、異端者として、一神教も否定されてしまった。
普遍宗教は、世界帝国=宗教に対する否定としてあらわれた。ただ、それは定着すると、世界帝国の統治手段と化した。現在、「世界宗教」と呼ばれるものは、旧世界帝国の版図を越えていない。しかし、普遍宗教は、本来、世界帝国を構成している諸要素に敵対するものである。世界帝国は交換様式BおよびCが空間的に拡大した状態である。つまり、国家の強大化と交易や市場の発展に支えられてきた。普遍宗教は交換様式Dとして、世界帝国において最大化された交換様式BとCに対する批判としてあらわれる。
3.模範的預言者
普遍宗教は、古代文明が発生した各地域で、ほぼ同時期に、互いに関係なく生じた。それは普遍宗教が転換期に生じたことを意味する。それは広域国家の形成過程であり、貨幣経済の浸透の時期であった。それは先行する共同体の宗教に対する批判として始まった。さらに、普遍宗教は一定の人格によってもたらされた。ウェーバーは、預言者を倫理的預言者と模範的預言者の二つに区別している。前者は旧約聖書の預言者、イエス、ムハンマドのように、神の委託
を受けてその意思を告知する媒介者である。後者の預言者は仏陀、孔子、老子のように、模範的な人間であり、自らの範例を通して人々に救いへの道を指し示す。模範的預言者には、通常哲学者とよばれた人たち、例えはアテネのソクラテスも入る。
4.倫理的預言者
ウェーバーのいう倫理的預言者の最初の例は、ペルシアのゾロアスター(ツァラㇳストラ)であるが、資料が乏しいので、ユダヤ教の場合を考察する。一般的に帝国の周辺部には遊牧民がいた。イスラエル(ユダヤ民族)もそのような遊牧民の諸部族の盟約共同体として始まった。これは、旧約聖書では「神との契約」として語られており、一つの神の下での部族の盟約を意味するが、ユダヤ民族に固有のものではない。神と人間の関係は双務的である。人間が神を忠実に信奉すれば、神もそれに報いる。報いなければ、人間は神を棄てる。しかるに、ユダヤ教における「神と人間の契約」にはこのような互酬性がない。ただし、そのようなユダヤ教が成立したのは、バビロン捕囚以後である(後述)。遊牧民であったユダヤ民族はカナンの地に侵入し、カナン人を滅ぼし、専制国家と農耕共同体を形成した(註:現代のイスラエル人のDNAには50%程度古代カナン人由来である、という結果が報告されている。別途、この研究結果がCellに報告されているので、紹介を書く予定)。同時に、遊牧民時代の神を棄てて、農耕民の宗教(バール神信仰)に向かった。イスラエルでは、ダビデからソロモンにいたって、王朝がアジア的な専制国家として繁栄した。ユダヤ民族がたどった道は、他の農耕民族と変わりはない。特異なものとしたのは、王国が滅んだ後の経験が、モーセのような神話的な過去に投影されたためである。
ソロモンの死後、王国は南北に分裂した。北の王国はアッシリアに滅ぼされ(bc722)、民族とともにかれらの神も消滅した。次に、南のユダ王国がアッシリアにとってかわったバビロニアによって滅ぼされ(bc586)、住民はバビロンに連行されて捕囚となった。ただ、北の王国の神は消えてしまったが、南の王国では、預言者の宗教、つまりモーセの神を信じた人々が残った。約50年後、バビロニアがペルシア帝国によって滅ぼされたとき、解放されてパレスチナに帰還した。このとき、ユダヤ教が普遍宗教として成立したと言える。その結果として、ユダヤ民族が存続した。
モーセの神について、柄谷はフロイトの「モーセと一神教」に触れている。この書は、聖書学者や歴史家によって、史実の裏付けがないと、一笑に付されている。フロイトは、モーセをイクナトンの一神教を回復させようとしたエジプトの王族の一人であると考えた。フロイト仮説の中で重要なのは、モーセに率いられてエジプトを脱出し砂漠を放浪した人々が緑豊かなカナンに入る手前で、モーセを殺したというものである(註:モーセが死んだということは、申命記の34章に書いてある)。モーセが砂漠にとどまることを命じたからである。殺されたモーセは、カナンの文明の中でモーセの神としてもどってきたのだ、とフロイドは考えた。これは、「トーテムとタブー」で書かれた「原父殺し」の反復である。
5.神の力
部族的宗教としてのユダヤ教は、イスラエル王国やユダ王国の滅亡とともに棄てられた。そして、バビロン捕囚となった人々の少数派が、普遍宗教としてのユダヤ教を成立させた。このことは、神が部族や国家を超えた普遍的・超越的な存在となり、「神の力」が、共同体の力、国家の力、そして貨幣の力を超えるものとしてあらわれることを意味する。同時に、共同体の一員ではなく、そこから相対的に自立した個人があらわれた、ということである。このことは、交換様式A(部族)、交換様式B(国家)、交換様式C(貨幣)を越えるものとして交換様式Dが「神の力」を通して発動することである。また、交換様式Dは、共同体から自立した諸個人を前提としていることである。柄谷は、普遍宗教がもたらすものは、個人と神の関係より、それを通じて、個人と個人の関係を新しく創り出すことを強調している。実際に、普遍宗教では「愛」や「慈悲」が説かれる(どちらも個人どうしの関係)。
しかし、キリスト教が支配的になった後に、ユダヤ教に対する偏見が生じた。それは、ユダヤ教はユダヤ民族の宗教であり、布教するような宗教ではないという偏見である。柄谷はこのユダヤ教を普遍宗教的なものととらえているが、実際には割礼などの特殊な部族的習慣が障壁となって、他民族への展開はされていない。ここで代わったのが、キリスト教である。しかし、キリスト教が拡大したのは、さまざまな共同体や国家の慣習を受け入れたためで、普遍的宗教から離れて、共同体や国家の宗教になってしまった。ここでユダヤ教について述べてきたことは、ユダヤ教のケースを特殊化するものではない。また、普遍宗教の初期的段階として述べたのではない。どの宗教にもついてまわる問題である。
(次回は、6.キリスト教、から見てみる)