2024年8月29日
第三部 近代世界システム
第一章 近代国家
1.絶対主義王権
世界=帝国では商業や交易が発展したが、それは国家によって独占的に管理されたもので、そこでは商品交換の原理は他の交換様式を上回ることはできない(註:いまの中国は?)。世界=経済、すなわち、商品交換の原理が他の交換様式に優越する事態は、国家が一元的な集積性を持つことがない地域、つまり西ヨーロッパにだけ起こった。西ヨーロッパにおいて集権的な国家が始まるのは、絶対主義的王権国家(以後、絶対王権とよぶ)によってである。王は周辺の封建諸侯を制圧し、教会の支配権を奪った。これが可能だったのは、一つには破壊力を有する火器の発明である。火器は旧来の戦力を無効にし、貴族=戦士の身分を無効にした。もう一つの要因は貨幣経済の浸透だった。14世紀のイギリスでは、封建領主は農民から封建的貢納を受け取る代わりに、地代を受け取る地主階級となっていた。王は都市の商工業者と結託して、封建諸侯の諸特権を廃止し、地祖を独占した。権力を奪われた封建諸侯は、国家から租税を分配される宮廷貴族・地方の地主階級となった。こうして、貨幣経済は、絶対王権を支える官僚や常備軍をもたらした。絶対王権国家はアジア的な専制国家(世界=帝国)に似ているが、後者が、交換様式Bが支配的な社会構成体であるのに対し、前者は交換様式Cが支配的であるところである。そのため、アジア的な専制国家が崩壊してもまもなく再建されるのに対し、絶対王政が崩壊するときは、ブルジョア社会になってしまう。
絶対王権国家は世界=帝国の存在しない西ヨーロッパに生まれた。教会、王、封建領主、都市などが拮抗し、かつ相互に依存する状態から、絶対王権国家が出現した。絶対王権は二つの意味で「絶対的」である。まず、一定の地域において、他の封建諸侯を超越した地位に立った。次に、王権の絶対性は、上位の組織や観念(教会や皇帝)を斥けた。その意味で、一定の地域外の王権国家と共存する。こうして、西ヨーロッパに、かってないタイプの集権的な(複数の)国家が出現したのである。主権国家という観念は、主権国家として認められない国ならば、支配されてもしかたがない、ということを含意する。ヨーロッパの植民地支配を支えたのはこの考えである。
西洋列強(複数の主権国家)は、オスマン、清朝、ムガールといった巨大な世界帝国には手をだせないので、それらの帝国の統治形態を非難し、従属している諸民族を解放し主権を与えるかのようにふるまった。その結果、旧世界帝国は解体され、多数の民族国家に分解され、それぞれが主権国家として独立した。つまり、主権国家は西ヨーロッパに始まったとしても、グローバルに主権国家を生み出した。
2.国家と政府
主権国家は、内部での集権化によって生じるとはいえ、本来、外部に対して存在するものである。しかし、絶対王政を倒した市民革命後には、そのような事実が見落とされるようになる。ジョン・ロックは、国家を主権者である市民らの社会契約としてとらえた。国家はその内部だけで考えられている。したがって、国家は主権者である人々の代表である政府に還元されてしまう。国家が何よりも他の国家に対して存在することが見失われる。市民革命に基づく今日のイデオロギーは、国家が何たるかを見逃すことになる。
イギリスのピューリタン革命によって、絶対王政が倒され(1648年)、議会派だったクロムウェルが独裁体制をしき、さらにそれが倒されて王政復古(1666年)となった。この後、名誉革命があり、立憲君主制が確立された(1689年)。この激動の時代に関して、ロックとトマス・ホッブスの考えが述べられているが、省略する。柄谷は、主権という考えは国内だけで考えられるものではなく、主権はまず外に対して存在するものだ、と断定している。したがって、絶対王政が倒されても、他の国家に対す主権の性格はなにも変わらない。
3.国家と資本
まず、国民主権と国家の主権の違いについて述べてある。国家の本質は、なによりも他の国家に対し存在するところにある。市民革命以後の社会契約論では、国家の意思とは国民の意思であり、それは選挙を通して政府によって代行されると考えられている。ところが、国家は政府とは別のものであり、国民の意思から独立した意思をもっている。このことは、戦争のような例外状況において露出する。このことは、絶対王政や近代以前の国家においては、明瞭に可視的であった。これが国民国家以後に見えなくなった。国家の意思は、国家機構である常備軍と官僚によって実行される。国民主権の下であろうと、国家はそれ自身のために(国民のために、ではなく)存続しようとするのである。もう一つ、国民国家によって曖昧にされたが、絶対王政において明瞭にことは、資本=国家、すなわち資本と国家の結合である。市民革命以後のブルジョア国家においては、国家は市民社会の階級的利害が政治的に表現される場とみなされる。国家それ自体、能動的な主体であるとは考えられない。だが、絶対王政にこそ、国家の自律性あるいは資本=国家の本質がみえる。
資本と国家の結合は、次の二点において明瞭である。一つは、国債の発行である。絶対主義王権は、この「魔法の杖」(マルクス)によって、いつでも税収入を先取りすることができた。もう一つは、保護主義的政策である。イギリスの産業資本の発展も国家の保護によって可能であったが、イギリスに後れをとった後発資本主義国で、国家による産業資本主義化がとられるのは当然のことである。国家は資本主義経済において、単なる上部構造ではなく、不可欠な要素なのである。
国家は産業資本主義に必要なインフラを整備するが、国家が行うことの中で、より重要なのは、産業プロレタリアートの育成である。これは、規律をもち、勤勉で、新たな多様な仕事にすばやく適応できる能力をもつ人々である。彼らは、農民のように自給自足することなく、賃労働で得た金で、生産物を買う消費者である。資本はこのような産業プロレタリア(労働力商品)を生産することができない。それを行うのが国家なのだ。具体的にいえば、学校教育であり、徴兵制による軍隊である(徴兵制は軍事力よりも、産業プロレタリア養成に貢献する)。
市民革命以後、官僚は、議会を通して表現・決定された国民の意思を実行する「公僕」であると考えられるようになった。しかし、実情がそうでないことは誰でも知っている。ヘーゲルによれば、議会は、人々の意見によって国家の政策を決めていく場ではなく、官吏たちによる判断を人々に知らせ、まるで彼ら自身が決めたことであるかのように思わせる場なのである。
20世紀において、国家がケインズ主義的な経済介入をとるようになったことが注目される。しかし、国家が経済に介入しなかった時期は一つもないというべきである。例えば、19世紀に経済的な自由主義とよばれたものは、イギリス国家の「経済政策」であって、それはその体制を守るための巨大な軍事予算と課税にもとづいていた。後発資本主義国家(フランス、ドイツ、日本など)において、国家の経済への介入は自明のことであった。国家が資本主義経済を発展させたのである。それを担ったのが官僚機構である。
国家をブルジョア階級の支配のための暴力装置としてみる一般的なマルクス主義者に対し、アントニオ・グラムシは、暴力的な権力と、被支配者が自発的に服従するようにさせるヘゲモニーを区別した。後者の装置は、家族、学校、教会、メディアなどである。しかし、この見方も、国家をその内部だけで見る点では、国家が他の国家に対して存在するという位相が抜けている点で、同等である。国家の自立性は、それが他の国家に対して存在するという位相においてのみ見出されるのである。
4.マルクスの国家論
社会主義革命は旧来の国家機構を廃棄しようとした。しかし、それはただちに外からの干渉を招くので、革命の防衛のために旧来の軍・官僚機構に依存せざるをえない。かくして、旧来の国家機構が保存され再強化される。たとえば、国家の側から見れば、ロシア革命は、旧ロシア帝国が国民国家に分解することを阻止して、新たな世界=帝国を再建することに貢献した、ことになる。
マルクスは資本主義について深い考察を行ったが、国家については不十分だった。「資本論」に国家が事実上抜けていたことは、マルクス主義者に影響した。しかし、「ルイ・ボナパルトのブリューメル18日」では、国家機構(官僚装置)が一つの階級として存在することを見落としてはいない。マルクスは、資本、賃労働、地代というカテゴリーに入らない諸階級、特に小農(分割地農民)の果たした役割を見落とさなかった。彼は、「ブリューメル18日」という夢のような二度の事件を解明する鍵を、1848年の革命がもたらした普通選挙による議会に見出した。マルクスによれば、普通選挙には、代表する者(言説)と代表される者(経済的諸階級)との間に、必然的なつながりはない。ここにこそ、近代国家の議会の特質がある。だからこそ、諸階級が自分たちの本来の代表に背を向け、ボナパルトにかれらの代表を見出したのである。このとき、50万の軍隊と50万の官僚制組織がフランス社会にからみついていた(これは絶対王政の時代に育ったものだが)。さらに、1851年の周期的世界恐慌が重ねて作用したことを、マルクスは指摘している。この例外的状況において、普通選挙の下に、あるいは市場経済の下に隠れていた官僚機構が、言い換えれば「国家」そのものが前景に登場したのである。この国家機構の自立は、ボナパルトが皇帝として議会を越えたときに成立した。マルクスは、ルイ・ボナパルトがあらゆる階級に対し気前よく「贈与」することによって権威を得てゆく過程を描いている。しかし、「贈与」するには、すべての者から「略取」しなければならない。つまり、国家機構による略取―再分配に、贈与―返礼という互酬交換の外見を与えることで、皇帝権力が確立された。
第一次フランス革命(1789年~)の後、権力を握ったのが皇帝ナポレオンであったが、1848年にも繰り返された(二月革命)。この直前に、マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』を発表した。しかし、世界が資本家とプロレタリアの二大階級の決戦になるだろうとの予見は、まったくはずれた。マルクスは、経済的な階級的対立が揚棄されれば上部構造である国家は自然に消滅するだろう、との観方をとりつづけた。柄谷は書いている:そして、そのことが後に、社会主義にとって致命的な結果をもたらすことになったと。
5.近代官僚制
絶対主義国家においては、軍と官僚という国家機構が主権者である王の意思を履行していた。ところが、ブルジョア革命以後、国家は、主権者である国民の意思を代行する政府と同じこととなった。しかし、国民主権は虚構にすぎない。事実、危機的な状態においては、絶対主義的な王に似た強力な指導者が、国民の喝采とともに出現する。
ウェーバーは、官僚制を国家による国民の「合法的支配」の一形態とみなした。具体的には、規則による権限の明確化、官職階層制、自由な契約による任命、規律による昇進、専門的訓練、貨幣で支払われる俸給、といったものである。近代においては、官僚制が国家機構だけではなく、私企業においても存在する。というよりも、近代官僚制は資本主義的な経営形態(分業と協業)に基づいて形成されたから、当然のことである。
ライト・ミルズが分析したように、ホワイト・カラーは、貨幣と商品という経済的カテゴリーに基づく階級(class)で言えば、プロレタリアなのだが、実際はブルー・カラーを支配する身分(status)にある。ホワイト・カラーは組織の歯車として働き、位階を上がるためにあくせくしなければならない。これは賃労働制というよりは、官僚制そのものである。労働者階級は、経営陣、正社員、パートタイマーというような位階制の下に分断されている。ここでは、従来の階級闘争は通用しない。この問題は後に述べる(第四部第二章)。
ネオリベラリスト(リバタリアン)は、国家の官僚機構(警察や軍隊を含めて議論する場合もある)を民営化すべきであり、それによって能率が上がり、官僚は縮小されるだろうと主張する。しかし、柄谷は、官僚化によって能率が上がる、というのは欺瞞である、と言う。なぜなら、私企業そのものが既に官僚制的だからだ。また、利潤という計算可能な目的をもたない、あるいは持ちえない領域にかかわる公的官僚に目的合理性(利潤の最大化)を強制することはできない(註:外交、司法など)。商品交換様式Cがどんなに広がっても、国家やネーションが自動的に解消されることはない。なぜなら、それらは商品交換とは別の交換様式に根差しているからである。また、商品交換も国家やネーションを不可欠なものとするからである。
今回はここまでにする。以下、第三部 近代世界システム、第二章 産業資本と続いている。