2024年3月20日投稿

本稿のおわりに

本書の著者は、「本書の目的は、戦後史全体の大きな流れをふまえた上で、日本政治の現在を理解することであった。ここまで75年間(1945年~2020年)の歴史をたどり、われわれはようやく「いま」について語りうる段階に至った」と書いている。55年体制から「改革の時代」を経てたどりついた政治システム、それをこの筆者は「ネオ55年体制」と呼ぶ。1990年代の政治改革には、「政権交代の可能性がきわめて低い」、「首相のリーダーシップが弱い」という55年体制の弱点を解消する狙いがあった。では、実際の結果はどうであったか。2000年代には民主党自民党に比肩する政党に成長し、09年衆院選で政権奪取に成功した・・・と、当時一部の政治学者は「政治改革モデル」がついに実現したとも理解された・・・が、その後の経緯と戦後政治史全体を見た場合、例外的、逸脱的なできごとに過ぎなかったと見るべきである。一方、首相官邸が政策のイニシアティブを握るという点では、ある程度改革の成果(文書改ざんなどという酷い出来事もあったが)が出たと言える。したがって、ネオ55年体制の特徴は、政権交代可能性の欠如という点で、55年体制と変わっていない。第二次安倍政権時に一党優位状況は特に顕著であったが、安倍が退陣してからでも、自民党の一党優位は変わっていない。新型コロナ対応のワンポイント継投の菅内閣を引き継いで、岸田文雄自民党総裁となった。岸田政権は地味で、立憲民主党の内部では楽観的空気が広がり、まもなく行われる衆院選自民党を追い詰められるとの期待感があった。メディアの報道も、来る衆院選自民党は大幅な議席減は確実と予測していた。ところが、10月末に行われた衆院選で、自民党は単独で過半数を大きく上回る勢力を維持した。このことは、安倍総裁の下でなくても、自民党が大多数の国民の支持を集められるということである。「政治構造」そのものが、自民党優位の状況を作っていると言える。本書では、なぜそういう状況になっているのか、という問いには迫っていない。最後に、著者は、日本の政治は憲法問題をいまだに解決できていない、と指摘する。憲法改正という争点を「軍国主義か民主主義か」というイデオロギー的問題として捉える枠組みから日本人が解放されない限り、この国の「戦後」が終わることはないだろう、と締めている。

 

僕が思うには、上に書いた「政治構造」を明らかにすることが政治学の役割なので、本書には不満をもっている。いま問題となっている「派閥の裏金問題」や安倍の「桜を観る会」にその端々が見えている。このことは、野党に対し「スキャンダルばかり追求しないで、政策論争をしろ」というのは、「政治構造」を問題にするな、ということなので、(少なくとも僕には)説得力がない。僕が最近気になっているのは、本書にも繰り返し書かれている「日米摩擦」がまるで問題にならないことである(米国に忖度している?)。ナショナリズムは敵対する国に対してだけでなく、友好国に対しても示さなければならない、と思う。沖縄普天間飛行場の移転問題のとき、鳩山首相が「少なくとも県外へ」と言ったことが、非常識扱いされ、いまだに民主党政権が現実離れしている証拠のように、民主党の内部でも語られたりするようだ。しかし、こうした問題を議論しないで、憲法改正など議論のしようがない。サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」のp345に次のような記述がある。「このような文化の違いと、アジアとアメリカの力関係が変化したことで、アジアの社会はアメリカとの紛争でおたがいに助け合うようになってきた。例えば、1994年に、『オーストラリアからマレーシア、韓国まで』、事実上すべてのアジア諸国が、輸入に対する数値目標を求めるアメリカに抵抗する日本に同調した。・・・」。ハンチントンは同書で、文化と文明のアイデンティティーについて繰り返し論じているが、安保問題と平和主義をどう両立させるのか、日本人のアイデンティティーに深くかかわる問題である。