2024年3月8日投稿

小泉改革について

 2000年4月、いわゆる「5人組による密室談合」によって、森喜朗内閣が誕生した。6月総選挙があったが、自民党公明党の協力があって、森首相の不人気がありながら、233議席を獲得した。しかし、都市部で自民党の苦戦は明らかとなり、逆に、民主党が野党の中で突出した存在となった。自民党政権は公共事業を乱発するだけで、不況脱出の政策をなにも出せなかった。この時期、いわゆる「加藤の乱」があったが、ここでは省略する。2001年に入ると、内閣支持率が一桁に落ち込み、参院選をひかえて、森首相は退任を表明した。

 任期満了でない自民党総裁選は、国会議員と各県連代表各1名による投票によるとされていたが、前回の「密室談合」に批判が集まっていたので、各県連に3票を割りふり、各県連で党員による予備選挙を行うことになった。国会議員の中では、小泉純一郎橋本龍太郎が拮抗していたが、新しい選挙形式は、小泉の圧勝をもたらした。政策的には郵政民営化をはじめとする経済構造改革の小泉の訴えが、支持された。

 旧来の派閥力学に基づく総裁選とは無縁の運動で自民党総裁となった小泉は、組閣においても、派閥からの推薦を一切受け付けず、「一本釣り」の人選を貫いた。その特徴は、構造改革推進の柱として民間から経済学者の竹中平蔵(経済財政政策担当相)を起用したことに見られる。小泉政権は、「改革なくして成長なし」をスローガンにして、以後5年以上続いた。目指した方向は、「小さな政府」あるいは新自由主義的政策である。具体的には、公共事業費削減、福祉支出抑制、特殊法人改革(道路公団民営化、郵政民営化)、いわゆる三位一体改革(国と地方公共団体に関する行財政システムの3つの改革)、金融機関の不良債権処理など多岐にわたった。橋本行革が決めた内閣府設置、内閣官房強化などが実施されたのは2001年1月からで、小泉政権の出発と時を同じくしていた。これによって、トップダウンの改革が迅速に進められた。

 小泉政権の時代は、9.11米国での同時多発テロにより国際情勢が緊迫し、テロ対策特別措置法を成立させた。11月、インド洋に自衛隊の補給艦と護衛艦の派遣を行った。この時には、この自衛隊の海外派遣は集団的自衛権行使に当たるという懸念に対し、政府は、派遣は合憲であるとの立場をとった。2002年9月、小泉は電撃的に北朝鮮を訪問し、金正日総書記との首脳会談に臨み、北朝鮮が邦人拉致にかかわることを明らかにした。2年後、小泉首相は再度訪朝し、拉致被害者の一部帰国を認めさせた。野党側では、2001年参院選で低迷していた民主党は、局面打開のため、自由党との合流を模索し、紆余曲折の後、2003年9月に民主党による自由党の吸収が行われた。10月に衆院が解散され、総選挙で自民党は237議席を得たが、民主党が137議席を177議席に伸ばし、比例代表では民主党の票が自民党も票を凌駕した。2004年の通常国会では、年金制度改革が焦点となったが、17閣僚のうちの7閣僚の保険料未納が発覚し、混乱した。7月参院選が行われたが、年金問題に加え、イラクへの自衛隊派遣の是非も問われた。結果は、明らかに自民党の負けであった(民主50議席、自民49議席)。しかし、小泉は負けにめげず、党内外で反対の強い郵政民営化で勝負に出た。突出した集票力をもつ全国特定郵便局長会郵政族議員を敵にして、特に都市部での民営化賛成の世論の支持を頼りにした。2005年7月の衆院本会議で、大量の自民党造反議員が出たが、何とか通過させた。しかし、参院本会議採決で否決されてしまった。小泉は、この結果を政権への不信任と見なし、即座に衆院を解散した。いわゆる「郵政解散」である。自民党執行部は郵政民営化反対の議員を公認せず、逆に「刺客」として対抗馬を公認候補とした。9月に行われた投票で、自民党は大勝利を収め、法案は可決された。この本の著者は、小泉政権を時代の転換点と位置付けている。財政支出を切り詰め、国債発行を抑制し、金融機関の不良債権処理を行い、いわば戦後ひきずってきた体制改革を成功させた、とみる。さらに、これで一応の改革が終わり、社会から体制改革への機運が失われてしまった、としている。

 この本の著者は小泉改革を全面的にポジティブに捕らえているが、新しい改革が続くとは見ていない。また、新自由主義的政策の副作用として、「格差社会」の懸念にも言及しているが、実質的には論じていない。小林慶一郎(慶大教授・経済学)は、小泉政権の経済政策(特に不良債権処理)によって、株価上昇、国内総生産の回復、デフレ脱却など、明るい見通しができた、としている(朝日新聞2005年8月28日)。他にもこの頃の経済記事などで、マクロ経済はデフレ脱却を視野に入れつつ、足元なお拡大を続けている、などとしている(森重徹:ニッセイ基礎研究所)。もちろん、これらの論調で、小泉改革の副作用、例えば、諸国格差の増大、拝金主義などについても、論じている。政策の良し悪しは歴史が決めると言われるが、20年経ったいまこそ、それをしなければならないと思う。本書が扱うべきテーマからはずれるかもしれないが、もう少し論じてほしいところだ。

 今回はここまでにしておく。参考までに、小泉政権の時代、日本の経済がよくなった、とは言えないデータを添付しておく。どちらも、ネットですぐ出てくる図である。次回は、本書に述べられている、安倍政権にいたる経緯を紹介し、ブログのこの項を終えたい。