230907投稿

再訂正

文献9. Yahara, I. Genes to Cells, 4: 375 (1999)

 

 

Hsp90の遺伝子変異に対するbuffering作用

 1998年、RutherfordとLindquist(R&Lと略す)は、分子シャペロンHsp90が変異遺伝子を隠す(buffering)という衝撃的な研究成果を報告した(文献10)。変異遺伝子の多くは生物の生存に不利なので、“遺伝子変異”を隠して、自然選択による淘汰から守り蓄積することは、進化の原動力となる。この研究は関連分野に強いインパクトを与えた。例えば、化石による証拠は、「進化は断続的に起こってきたもので、微小な変化の積み重ねによるものではない」ことを示してきた。彼女たちの研究は、断続的進化の仕組みの解明につながるものとして、高く評価された(文献11)。以後Lindquistのラボから、次々と目覚ましい研究結果が報告されたが、基本的な問題はこの1998年の論文にすべて提示されている。上述した、Waddingtonの“genetic assimilation”に至る研究とR&Lの研究は重ね合わせると、よく一致する二つの画像のような関係にある。ただし、両者の違いにも着目する必要がある。順を追って話を進めたい。

 

  1. Rutherford, S. L. & Lindquist, S., Nature 396: 336 (1998)
  2. Cossins, A., Nature 396: 309 (1998)

 

RutherfordとLindquistの研究結果(1998年)

DrosophilaはHsp83(DrosophilaのHsp90)変異はホモだと致死的なので、Hsp83変異遺伝子はヘテロ接合体をストックして維持されてきた。R&Lは、これらの遺伝子変異体ストックには、野生型Hsp83ストックには見られない形態異常のハエが1%から最高5%も混じっていることに気付いた(文献10)。形態が正常のHsp83変異ヘテロ接合体をさまざまなラボストック株(Hsp83+/+)と交配させると、1~5%程度のF1が異常形態を示した。形態異常の種類も程度も多様であった。

 異常形態の出現には、次のような特徴がみられた。ハエの形態異常は多様ではあった。すなわち、Hsp83変異ヘテロ接合体のラボストックごとに多様さに違いがあり、それらの形態異常は腹部、剛毛、眼、首まわり、脚、胸部、翅などに認められた。また、野生型Hsp83株でも、Hsp90阻害剤geldanamycin Aを餌に加えると、異常な形態のハエが数%認められた。これらの結果から、Hsp83の機能が不完全だと、発生過程に異変が生じ、形態異常のハエが生まれると結論した。

R&Lはいくつかの可能性を検討した後に、次の結論にいたった。すなわち、野生型Hsp83がホモ個体だと、集団の中に発生過程にかかわる変異遺伝子をもつ個体があっても(なお、実験株であっても集団の個体の遺伝的背景はヘテロだとする)、その表現型への変換が抑制されていて、すべて正常な形態のハエが生まれる(Waddingtonの謂うcanalization(文献12))。しかし、変異型Hsp83ヘテロ個体では、Hsp83の抑制作用が低下して、発生遺伝子の変異が形態異常として顕在化してしまう。とりわけ示唆的なのは、Hsp83変異体と他のラボ株とを交配したとき、親のHsp83変異体の集団には見られなかった異常表現型を示すF1のハエが得られた。すなわち、新たな異常表現型の基となった変異遺伝子は交配相手のラボ株(Hsp83+/+)に存在しているものの、ラボ株では異常表現型には変換されていないと解釈した。

R&Lは、これら一連の結果から、Hsp83が+ホモ2量体だと、異常表現型の基となるある種の変異遺伝子の表現型への変換を緩衝(buffering)するが、Hsp83(-/+)の場合変異を緩衝しきれなくなって、異常表現型が顕在化する、と結論した。

 

  1. Waddington, C. H. Nature, 150: 563 (1942)