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変異遺伝子を隠すメカニズム
これまでに、Hsp90の機能欠損によってさまざまな形態異常が誘起されること、すなわち、分子シャペロンHsp90が変異遺伝子silencing系において重要な役割を担っていることを、いくつかの具体例によって紹介した。クロマチンレベルの遺伝子silencing系でよく研究されてきたのは、Polycomb系とheterochromatin系の二つである。これらのsilencing系は、変異遺伝子だけを隠すのではなく、支配下にある遺伝子は野生型遺伝子であろうが変異遺伝子であろうが、わけへだてなく隠す。しかし、Kruppel(Kr)遺伝子が野生型のときは、Hsp83量が一部減少しても眼に関する異常表現型はほとんど表れないが、KrI-f1変異遺伝子の場合、Hsp83の部分的機能欠損によって、極度な異所性発現異常がおこる(文献20)。また、TrxGが変異していると、Hsp83変異と同じように、Krl-f1変異が増幅された。すなわち、Epigenetic silencing系も、変異遺伝子を隠すと言っていい。
ここで、隠れている変異遺伝子について、若干の追加を記しておく。
顕在化していない遺伝子変異(cryptic mutations)
Cryptic mutations(以下<CP>と略す)は古くから記載されている。とりわけ、細菌をホストとするウィルス、つまりバクテリオファージの遺伝子変異の場合、変異のマッピングなどの解析結果が明快に示されている。例えば、Drakeらは、T4rIIの変異において、第一の変異(a sensitizing mutation)があると、第二の変異(a cyptic mutation)が顕在化する場合を報告している(文献30)。一般的に、<CP>には二つの場合があり、一つは遺伝子間の相互作用(上述のT4rIIの場合など)であり、もう一つは遺伝子と環境との相互作用に依存する(文献31)。温度感受性(ts)変異は典型的な二番目のケースである。
ひるがえって考えてみると、Waddingtonのlandscape-canalizationモデル(文献12)は、発生の初期条件が少々変わっても、すなわち、個体がある程度の遺伝子変異を抱えていても、発生はとどこおりなく進行し、正常な形態が約束されるということを描きたかったのである。この場合、最終結果に影響を与えない変異遺伝子群はすべて<CP>に他ならない。
<CP>と対になっているのは、変異遺伝子を「隠す系」である。これまでに、本小論で言及した「隠す系」は、分子シャペロンHsp90(細菌ではGroE)とTrxGである。しかしながら、これら以外にも質的に異なるメカニズムに基づく「隠す系」があるにちがいない。例えば、高橋(岡山大)は、Drosophila野性株中の、翅の形態変異をもたらす<CP>を顕在化させる遺伝子欠損(すなわち、その遺伝子が野性株中では「隠す系」の構成要素となっている)をゲノムワイドに探索した結果、10の領域を同定した(文献32)。これらの領域はトータルで444個の遺伝子を含んでおり、その中から新規の「隠す系」の構成要素をコードしている遺伝子が発見される可能性を示している。