2026年4月26日 投稿

「力と交換様式」

序論

7.フェティシズムと偶像崇拝

貨幣には、他の物と交換できる「力」がある(買うことができる)。それが、人により多くの貨幣を得ようとする欲望をもたらす。この貨幣の「力」はどこから来るのか。マルクスは「資本論」において、一貫してこの問題を追及した。マルクスは、1942年にシャルル・ド・ブロスの「フェティシュ精神の崇拝」を読んで、フェティシズムについて学んだ。これは、アフリカの住民の護符・呪物崇拝を意味する。16世紀から17世紀にかけて、スペイン人やオランダ人が西アフリカに交易のために到来したときに、フェティシズムという言葉が定着した。これはキリスト教でいう偶像崇拝とは異なる。つまり、資本主義の基本的原理である交換様式Cの源泉に交換様式Aがあるというのである。

 フェティシズムという用語は、エドワード・B・タイラーが「原始文化」(1871年)において提唱したアニミズムという用語に覆われてしまい、さらに、心理学者アルフレッド・ビネーが性的倒錯の意味で用いたために、一般にはマルクスの意は汲み取られなかった。マルクスが書いた、ラボックの「文明の起源と人類の原始状態」についてのコメントで、フェティシズムと偶像崇拝が区別されている。マルクスは、原始社会において偶像崇拝が神への屈服であるが、(交換様式Aによる)フェティシズムは神への攻撃であるとした。一方で、資本主義のフェティシズムは、交換様式BやCに基づく偶像崇拝である、と柄谷は言う。

 

8.エンゲルスの「ドイツ農民戦争」と社会主義の科学

マルクスは貨幣や資本の物神(亡霊)を、交換様式Cとともに生じた観念的な力として考察する道をひらいた。マルクスに先立って、社会的な交換から生じた霊的な力を見出したのは、ホッブスである。彼が国家を論じたとき、「リヴァイアサン」(怪獣)と名付けたものは、「恐怖に強要された契約」、すなわち交換様式Bから生じた霊に他ならない。マルクス以後に、交換様式Aから生じた霊(ハウ)を見出したのは、「贈与論」のマルセル・モーリスである。では、交換様式Dからは、どんな霊が生まれてくるのか、本書はそれを論じるものである。

 ウェーバーらは「経済的下部構造から自立的な力」が生じるとしたが、それは経済的下部構造の生産様式によるのではなく、交換様式によるのである。マルクスは「資本論」において、そのことを明らかにした、と柄谷は強調する。マルクスは、「資本論」第一巻が出た後、エンゲルスの再三の要請にもかかわらず、第二巻・第三巻の草稿に手を入れず(第二巻、第三巻は、マルクスの死後、エンゲルスの手により、刊行された)、モーガンの「古代社会」に取り組んだ。古代社会は生産様式からみれば未開社会段階であるが、モーガンはそこに、未来の人間社会の姿を見たのである。それは、モーガンが、生産様式ではなく、交換様式から「社会構成体の歴史」を見たからである。柄谷によれば、晩年のマルクスは、共産主義を「古代社会の自由・平等および友愛のより高度の形態における復活」として見るモーガンに共鳴した。

 柄谷は、史的唯物論の創始者であるエンゲルスも、史的唯物論に欠けている問題に関心を抱いていたことに、刮目した。エンゲルスは「ドイツ農民戦争」(1850年)において、ドイツ千年王国運動の指導者であった宗教家トマス・ミュンツァーについて肯定的に論じている。最晩年のエンゲルスは、原始キリスト教の起源を問う研究を続けた。カウツキーがその後を受け継いだが、ロシア革命で権力を得たレーニンによって、「背教者」として糾弾されたため、世の注目を浴びることはなかった。これらのことに、柄谷が気づいたのは、カウツキーを背教者として斥けた“マルクス主義”が20世紀末にその死を宣告されたときであり、交換様式という観点を得たのも、その時期であった。

 柄谷は、本書を書く過程で、「社会主義の科学」は、もしありうるとすれば、社会主義を交換様式においてみることによって成り立つ、ということに気づいた。つまり、交換様式Dとして見ることだ。この問題は、本書全体を通じて論じていることである。

 

「序論」はもう少し続く。