2026年2月27日 投稿

序論

3.交換様式から来る「力」

柄谷の見方では、「政治的・観念的上部構造」に存する「力」は、「経済的下部構造」から来るが、それは生産様式ではなく、交換様式に基づくとする。生産様式にもとづく人類社会史、いわゆる史的唯物論はエンゲルスによって最初に提起された(「ドイツ・イデオロギー」において示された、「史的唯物論」の要の章である「フォイエルバッハ」の項は、エンゲルスによって書かれた)。マルクスは「資本論」において、資本制経済の形成を、生産ではなく交換に見出そうとした。言い換えれば、生産様式ではなく、交換様式に注目し、そこに商品交換から生じる物心的な「力」を見出した。この「マルクスの発見」は、柄谷が発見したものでもある。

 フォイエルバッハへの批判を最初にしたのは、モーゼス・ヘスである。ヘスは生産のみならず交通(Verkehr)を重視した。彼は、この言葉を交易、交換、性交、さらに戦争もふくむ広い意味で用いた。さらに、彼は人間と人間の間だけでなく、人間と自然の間にも「交通」を見出した。普通、人間と自然の関係は、生産力、すなわち人間が自然を操作し活用するという観点から見られる。しかし、ヘスが強調したのは人間と自然の間の相互的関係、言い換えれば、物質的代謝(メタボリズム)である。初期マルクスの「経済学・哲学草稿」に、ヘスの「貨幣体論」の影響が認められる。また、「ドイツ・イデオロギー」にも、「歴史上のあらゆるあつれきは、われわれの見方によれば、その根源を生産諸力と交通形態との間の矛盾のうちに持っている」という記述を見出すことができる。

 マルクスの「資本論」における見方で重要なのは、ヘスの「交通」一般ではなく、人間と人間の間の「交換」を注視したところにある。それが彼の「経済学批判」の第一歩となった。彼がこれを開始したのは、1848年革命が挫折し、彼がヘスらと一緒に始めた「共産主義者同盟」が解散した後であった。この後、二人は袂を分かち、ヘスはシオニズムを唱えるようになり、マルクスはロンドンに亡命し、経済学批判のための研究を始めたのである。