2026年1月11日

第4部 第二章 世界共和国へ

5.贈与による永遠平和

交換様式の観点から永遠平和の問題を考えてみる。ホッブスのいう平和状態の創成は、主権者との「恐怖に強要された契約」、すなわち、交換様式Bに基づく。カントは「永遠平和のために」において、商業の発展を平和の条件としている。諸国家間の密接な通商関係が戦争を不可能にするというのである。しかし、交換様式Cには、国家による規制、つまり交換様式Bに依存せざるをえない。実際、交換様式Cの発展、すなわち産業資本主義の発展はそれ以前の異質な対立と戦争をもたらした。それが帝国主義的世界戦争であった。現在では、先進国の間の戦争は、カントが言った理由(国際連盟国際連合の結成)によって避けられるかもしれない。しかし、先進国と途上国(北と南)の間には深刻な敵対と戦争の危機がある。このような敵対性を解消するには、諸国家の間の経済的格差が消えること、それに加えて、格差を再生産する資本主義的な体制がなくなることが必要である。

 諸国家の経済的格差を解消するさまざまな試みがなされてきた。例えば、先進国から途上国への援助がなされてきた。これは「分配的正義」とみなされる。しかし、現実には、この援助を通して、先進国の資本が蓄積するのである。しかし、これは、国内の福祉政策が一つの完成された資本主義体制を形成するように、南北間の格差を固定する。しかるに、カントにおける「正義」は分配的正義ではなく、交換的正義である。それは、経済的格差を再分配によって緩和するのではなく、格差を生み出す交換システムを廃棄することによって実現する。では、どうすればそれが可能になるのか。

 軍事力や経済力といった「力」に依存した世界システムは、究極にはホッブスが考えた道をたどることになる。そこで、国家以前の部族連合体を考えてみる。この連合体はその頂点に王あるいは超越的な首長をもたない。この部族連合体を支えているのは、交換様式A、すなわち互酬原理(贈与の力)である。カントの諸国家連邦の基盤は発達したグローバルな世界=経済である。すなわち、交換様式Cの一般化がある。それ故、諸国家連邦とは、交換様式Cの上に交換様式Aを回復することである、と柄谷は書いている。本書において、互酬的な原理の高次元での回復を消費=生産共同組合に見てきた(第3部第4章4)。これを諸国家の間の関係に見ると、諸国家連邦を新たな世界システムとして形成する原理は、贈与の互酬性となる。ここで贈与されるのは、生産物よりも、むしろ生産のための技術知識(知的所有)である。さらに、相手を威嚇してきた兵器の自発的放棄も、贈与に数えられる。このような贈与は、先進国における資本と国家の基盤を放棄することである。柄谷は、それによって無秩序が生じることはない、と言う。贈与は軍事力や経済力より強い「力」として働くからである。普遍的な「法の支配」は、暴力ではなく、贈与の力によって支えられる。国家に関して、酷薄なホッブス的な視点を貫いたカール・シュミットは、国家死滅の唯一の可能性を、消費=生産共同組合において見出した。

 柄谷はシュミットを引用して書いている。すなわち、「世界国家」が、全地球・全人類を包括する場合は、それは政治的単位ではなく、単に慣用から国家とよばれるにすぎない、なにものかである。一般的な意味での「国家」を越える、より「高次の」単位を形成しようとした場合、それは、倫理と経済という両極の間に中立点をさぐる消費=生産組合になるであろう。それは、国家も王国も帝国も、共和制も君主制も、貴族政も民主政も、保護も服従とも、無縁であり、すべての政治的性格をも捨て去ったものである。

 シュミットがここで言う「世界国家」は、カントが言う「世界共和国」と同じである。シュミットの考えでは、ホッブス的観点から見れば、国家の揚棄はありえない。だが、それは国家揚棄が不可能だということにはならない。ホッブスと別の交換原理によってのみそれが可能だということを、彼は示唆している(と柄谷は考えた)。

6.世界システムとしての諸国家連邦

これが本書の最後の項目である。

カントが予想したように、二度の世界戦争から国連が生まれてきた。しかし、現在の国連は、新たな秩序立った世界システムからは程遠い。それは、諸国家が覇権を握るための争いの場となっている。しかし、国連は人類の大変な犠牲の上に成立したシステムである。国連がいかに不十分なものであっても、これを利用することなしに、世界平和はありえない(柄谷は、人類の未来はありえない、としている)。国連は三つの領域から成っており、第一に軍事、第二に経済、第三に医療・環境・分化などの領域である。第三の領域は、歴史的にみて、国際連盟・国連に先立って確立していた。例えば、WHOは19世紀からできていた国際機関が国連に参入してできたものである。だが、第一と第二の領域は、現在の諸国の事情をまともに反映している。そして、それらは国家と資本にかかわる領域である。そして、それらが現在の国連を規定している。言い換えれば、交換様式BとCが、現在の国連を規定している。この部分で変革を起こすとしたら、各国における国家と資本への対抗運動しかありえない。しかし、個別の国の対抗運動は、国家と資本によって国を越えて連携しないように妨害を受けるであろう。一方で、そのような運動は、妨害を受けても、知らぬ間に他と結びつく可能性を秘めている。

互酬原理にもとづく世界システム、すなわち世界共和国の実現は容易ではない。交換様式A、B、Cは執拗に存続する。共同体(ネーション)、国家、資本は執拗に存続する。いかに生産力(人間と自然の関係)が発展しても、人間と人間の関係である交換様式に由来するそのような存在を、完全に解消することはできない。しかし、それらが存在するかぎりにおいて、交換様式Dもまた必要に存続する、と柄谷は述べている。カントがいう「統整的理念」とはそのようなものである、として本書は終わっている。

 

これでこのノートは終わるが、次に「力と交換様式」を読む必然性が生まれたように思う。