2026年1月3日 投稿
第4部 第二章 世界共和国へ
4.カントとヘーゲル
ホッブス的思考では、世界国家(帝国)のような至上の主権者をもつことなく、諸国家が連邦したままで「国際法」あるいは「万民の法」に従うような体制は作れない。戦争を通して権力を独占した主権者の下に、各国が「社会契約」を交わすときに、平和状態が可能となる。そうでなければ、諸国家の連邦では、国際法に対する違反を咎めるすべがない。
ヘーゲルも同じように、諸国家の間には最高法官などおらず、せいぜい調停者か仲介者がいるだけである。カントは国家連盟による永遠の平和を表象した。国家連盟はあらゆる抗争を調停し、個々の諸国家それぞれから承認を受けた一機能として、すべての反目を鎮め、戦争による決着を不可能にする、という。だが、こうした表象は諸国家の合意を前提にしている。理想論として考える限り、われわれは、カントの構想に親近感を持つ。しかし、実際は、ヘーゲルの批判する通りの現実なのである。ヘーゲルによれば、国際法が機能するためには、規約に違反した国を処罰する実力をもった国家、すなわち覇権国家の存在が必要である。さらに、ヘーゲルによれば、世界史は諸国家の相争う法廷であり、世界史的理念はその中で実現される。例えば、ナポレオンがそうであったように。
しかし、柄谷によれば、カントはヘーゲルの言うように、理想論をナイーブな観点から唱えたのではない。柄谷によれば、カントは、人間の本性(自然)には「反社会的社会性」があり、それを取り除くことはできないと考えていた。カントが「永遠平和」のための国家連合を構想したとき、暴力に基づく国家の本性を解消することはできないという認識に立っていた。だが、カントは世界共和国という「統整的理念」を放棄するのではなく、徐々にそこに近づけばよいと考えた。諸国家連合はそのための一歩である。だが、それをもたらすのは、人間の理性や道徳性ではなく、人間の「反社会的社会性」、言い換えれば、戦争だとカントは考えた。それが実現されたのが、第一次世界大戦(人間の「反社会的社会性」が未曽有の規模で発現された)後の国際連盟である。だが、国際連盟は第二次世界大戦を防ぐことができなかった。今度は、第二次世界大戦の結果として、国際連合が形成された。国際連合は国際連盟の挫折の経験の上に成立したが、やはり無力である。国連はそれを通して有力な諸国家が自己の目的を実現する手段でしかない、という批判にさらされる。だからといって、国連を嘲笑、無視し続けば、また世界戦争(今度は核戦争)である。カントの考えに習えば、その後に新たな国際連合が形成されるであろう。これは最も残酷なリアリズムである。この見方は、後期フロイドの「超自我」に通ずると柄谷は見ている。すなわち、「超自我」を、外に向けられた攻撃性が各自に内向してきたものととらえる。
以上のような議論は、現在でも行われている。ネオコンの代表的論者ロバート・ケーガンは次のように述べている。軍事力の強いアメリカが基礎におくのは、「万人の万人に対する戦争」というホッブスの世界観であり、軍事力の劣るヨーロッパは、経済力や非軍事的手段(ソフト・パワー)に持って、カントの「永遠平和」という理想を追求する世界観に依拠している。だが、ケーガンによれば、そうしたカント流の理想主義は、アメリカのホッブス的な世界観に従う軍事力(ハード・パワー)に、結局のところ依存している。
しかし、単独行動をとるアメリカの論理は、ホッブスより、ヘーゲルに基づくものである。というのは、彼らはこの戦争が世界史的理念を実現するものと考えていたからである。その理念とは、フランシス・フクヤマがヘーゲルを引用して述べたように、「自由民主主義」である。だが、アメリカの「自由民主主義」が、歴史を終わらせたのではないことが、事実によって示されている。
ネグリ&ハートによれば、グローバルな秩序を維持するためには二つの戦略――単独行動主義(アメリカ)か、多国間強調主義(ヨーロッパあるいは国連)のいずれかしかないことを前提にしている。しかし、これらのどちらも役に立たない。N&Gは「マルチチュード」(著書「帝国論」による)こそが、困難に立ち向かい、世界を民主主義的に構成する新しい枠組みを生み出さねばならない、とする。マルチチュードとは、国籍・人種・ジェンダー・職業・文化・ライフスタイルなどの差異を保ったままの集合体を指す。ヨーロッパの立場をカント的、アメリカの立場をヘーゲル的とすると、柄谷はN&Hの考えは、マルクス(1848年の)的である。諸国家はマルチチュードの自己疎外としてあるのだから、マルチチュードが自己統治することによって揚棄されるだろう。これは、初期マルクス、というより、プルードンのアナーキズムに起因する。そして、「世界を民主主義的に構成する新しい枠組み」とは、プルードン派やマルクスによって結成された「国際労働協議会」(第一インターナショナル)のようなものだ。柄谷は、N&Hには、19世紀以来の「世界同時革命」がばぜいかにして失敗したかについての反省が欠けている、と批判している。
柄谷は、カントはヘーゲルによって、ヘーゲルはマルクスによって乗り越えられた、というような通念を斥け、「カントを、各地の資本と国家への対抗運動やコンミューンが分断され対立させられないようにするにはどうすればよいのか、という問題意識から読み直すべきである」(原文のまま)としている。カントは、諸国家連邦を「世界を民主主義的に構成する新しい枠組み」として見出したのである。