2025年12月22日 投稿

第4部 第二章 世界共和国へ

3.カントの「永遠平和」

カントの「永遠平和のために」(1795年)は、フランスとプロイセンバーゼルの和約を締結した年に出版された。この和約は将来の戦争を防ぐために締結されたのではなく、当面の戦争状態を調整するための一時的な講和条約であった。当然、カントは恒久的な平和を頭に置いた批判をすると同時に、世界平和の達成の困難さを論じた。カントは社会主義革命について考えたわけではなく、ルソー的な市民革命を念頭に置いていた。そして、市民革命が政治的自由のみならず、経済的平等を目指すものである以上、一国だけでなく、周囲の絶対主義王権国家の干渉に耐えるものでなくてはならない。カントの言う「完全な意味での公民的組織」を設定する問題は、諸国家の間に外的な合法的関係を創設するものである。それは、ルソー的な社会契約によるアソシエーションとしての国家が、周辺の絶対主義的な王権国家による干渉戦争を防がなければならない。フランス革命は「公民的組織」を実現したが、たちまち周囲の絶対主義国家の干渉と妨害を受けた。それが民主主義革命そのものを捻じ曲げたのである。ロベスピエールの恐怖政治も半ば、外からの「恐怖」によって増幅されたのである。立法議会は革命防衛戦争を開始したが、アソシエーションとしての国家は、対外的強力な国家に転化した。こうなると、革命防衛戦争と革命輸出戦争(征服戦争)の区別が不明瞭になる。カントが上記の本を刊行したのは、革命防衛戦争を通してナポレオンが頭角をあらわした時期である。そして、ナポレオン戦争とよばれる世界戦争が起こったのである。

 カントはこの事態をある程度予期していた。カントの「諸国家連邦」という構想は、単なる平和のためのみの提案として取り扱われてきた。つまり、サン・ピエールの「永遠平和」に始まる平和論の系譜の中で読まれてきた。しかし、カントがいう「永遠平和」は、単に戦争の不在としての平和ではなく、「一切の敵意が終わる」という意味での平和である。柄谷によれば、これはもはや国家が存在しないこと、つまり国家の揚棄を意味するのである。カントは元来、「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱う」という道徳法則が実現される社会を「目的の国」と呼んでいた(「実践理性批判」)。それは当然、資本主義が揚棄された状態である。しかし、「目的の国」は一国だけではできない。仮に、ある国「完全な意味での公民的組織」を実現したとしても、しれが他国を単に手段としてのみ扱う(収奪する)ことによって成り立っているなら、それは「目的の国」ではない。故に、「目的の国」が実現されるとき、それは必然的に「世界共和国」でなければならない。カントは世界共和国を人類史が到達すべき理念として論じている。すると、「諸国家連邦」は複数の国家の存在によって成立し、一方、「世界共和国」では、諸国家は揚棄されている。

柄谷は、カントの「諸国家連邦」は、それが「世界共和国」の単なるリアリスティックな「消極的な代替物」ではないとする。カントは、世界共和国への道が「諸民族合一国家(世界国家)」ではなく、「諸国家連邦」の方向にあると考えたのである。ここに、ホッブスおよびその延長で考えられているものとは根本的に異なる考えがある。ホッブスによれば、自然状態の個人がその諸権利を一括して「国家」に譲渡すれば、平和状態が創設されるとする。そして、諸国家の自然状態を克服するために、「世界国家」のとしての主権者(国家)を想定する。これを、カントは「諸民族合一国家」と呼んだ。確かに、これは国家間の戦争の不在としての「平和」をもたらすが、「永久平和」をもたらすものではない。カントにとって、平和状態の創設は、国家の揚棄に他ならない。「世界国家」はあくまで国家である。