2025年11月8日 投稿

映画「駅STATION」の感想

最新の永田和宏さんの歌集「わすれ貝」に、「ゆきずりのカウンターにて飲むひとが倍賞千恵子であるわけがない」というのがある。映画「駅STATION」だな、と思った(確認していないが)。僕は、この映画はなんどか、TV録画で観た。高倉健の映画では、好き作品だ。物語の構成は、元射撃オリンピック選手の警察官三上英次と三人の女性との話になっているが、最初の妻(石田あゆみ)と子と別れる話(1968年が舞台)は、倉本聰らしく含みをもったまま書き流してある(終わりのほうでほんの少し触れられるが)。この後、英次の上司が、検問中に連続警官射殺犯“指名22号”に射殺され、この犯人を追うのがこの映画の軸になっている。

次は、赤いスカートの女だけを狙う通り魔吉松五郎(根津甚八)の妹吉松すず子で、彼女は増毛駅前の「風待食堂」で働いている(1976年の話)。英次たちは張り込む。すず子は雪夫というチンピラと付き合っているが、この雪夫が英次にすず子から得た五郎の情報をもらす。この雪夫(宇崎竜童)は貧相だが、いいスタイルをしており、パンツの尻の線などが色っぽい。雪夫が言うように、五郎とすず子は普通以上に仲がいい(すず子は赤いミニスカートをはいていて、五郎の犯罪と関係があるのだろうが、映画ではふれられない)。結局、五郎はすず子と会うために出てきたところを逮捕された。英次は五郎になにかを感じて、収監された4年間弁当を差し入れた。死刑が執行される日に、英次は五郎から別れの手紙を受け取った。また、雪の日に、五郎の墓参りをした。

暮れの30日、吹雪のために船の欠航で、故郷の雄冬に戻れなくなった英次が、ふと立ち寄った居酒屋が桐子(倍賞千恵子)の店だった(1979年)。客のいない店で、彼女は所在なくカウンターにもたれていた(ここが、僕が永田さんの短歌から想起したところだ)。煮たイカを食べ、燗酒を飲むうちに、少しずつ話を交わした。ニコリともしない高倉健の顔がすこしだけ緩んだ。ここで、テレビに八代亜紀の「舟唄」が出てくるが、桐子は、「この歌が好きなの、私」とつぶやく。翌日、二人は映画を観て、カレーライスを食べ、そしてセックスをした。英次は宿に戻り独り考え事をするが、桐子から電話で呼び出され、紅白歌合戦を観たが、再度「舟唄」が流れた。二人で初詣に行き、その帰途、人込みにまぎれて桐子を見つめる男がいた。正月になり、英次は故郷の雄冬に帰ったが、警察官を辞める決意を固めていた。年老いた母親、兄弟、妹夫婦、古い友人たちと、酒を飲んだり、互いの境遇などを話したりした。この人付き合いの良さと、孤高な射撃プロの英次の解離もまた面白い。港で英次を待っていた桐子は、神社からの帰途、神社で会った昔の男の話をちょっとして去って行った。英次が札幌に戻るとき、街で警官が撃たれた。女から電話でたれこみがあり、犯人は指名22号だという。英次は増毛に戻り、桐子を訪ねた。そして、炬燵でくつろぐ桐子の昔の男、指名22号森岡を射殺した。冷静に森岡の死を確認する英次に、桐子は「どうして」と言った。取り調べの刑事に桐子は、私が森岡をかくまっていた、と話すが、刑事はたれこみをした女を犯人は脅して居座っていたのだろう、と問うが、女は違うといい、「それが男と女よ」と謎のような言葉を返した。

札幌に戻ろうとする英次が「桐子」に寄ると、桐子はまた独りカウンターにもたれていた。テレビをつけると、またまた「舟唄」が流れた。桐子の眼から涙がこぼれた。これらの一連のシーンは、説明してもらってもわからないし、わかっても意味のないことのように思う。この不可解さが、この映画の魅力でもある。増毛の駅に着き、改札に向かう英次は、思い直したように辞表を待合のストーブに投入した。これから英次はどんな警察官の仕事を続けるのか、また別れた妻直子と寄りをもどすのか、わからない。

この映画で、僕が好きではないところが一つだけある。それは、1968年1月、英次が妻直子と別れた後で、円谷幸吉が遺書を残して自死したテレビの映像を見る場面である。英次も、同年のメキシコ・オリンピックに射撃選手として選ばれていた。確かに、妻子と別れても、競技に打ち込もうとする英次にとって、周囲の期待は重荷になっていたであろう。しかし、円谷の苦しみが、英次にわかったはずはない。後年、英次が警察を辞めようと意を固めたことに、円谷の自死が影響していたのかもしれないが、11年も経っている。ここは、倉本と僕の感性の違いだろう。