2025年9月9日 投稿
一定の限られた範囲内だとはいえ、資本主義は少なくとも人生の主権を自分に与えてくれている、と私たちは考えていた。懸命に働くことを強要されていても、私たちが人生の一部を垣根で守り、その垣根の中がどれだけ狭かろうが、その中では自立し、自己決定し、「自由」でいることは可能だった。資本主義を批判する左翼の人たちでさえ、資本主義が与えてくれた限定的な自己所有権を評価していた。
しかし、今の若者は、なによりもオンラインで自分のアイデンティティのキュレーションを行わなくてはならない。つまり、自己の情報をインターネットの情報網の中に位置づける(枠をはめられる)ことが、必須の仕事となっている。自分自身をブランド(いちいち説明しなくても中身がわかるふり)としてみるように、それとなく教え込まれる。同時に、そのブランドは本物らしさを基準に他者からの判断にさらされる。そのため、人の意見に無批判に迎合し、SNSで「いいね」を押してしまう。著者は言う、皮肉なことに、自由な個人を抹殺したのは、ファシストの突撃隊でもなければ、スターリンの秘密警察でもなく、クラウド領主なのだ。
ここに至る過程で、資本主義が選んだのは、社会民主主義であった。審判員として労働組合と製造業の資本家の間に立ち、双方をテーブルにつかせ、お互いに妥協を迫った。これによって、企業が手にした利益の一部を年金や医療、教育、保険、芸術などに振り分けた。しかし、1971年のプレトンウッズ体制の終焉以降、支配力が産業から金融に写るにつれて、アメリカの民主党支持者もヨーロッパの社会民主主義者もウォール街やロンドンのシティをはじめとする銀行家たちとの「ファウスト的」な取引に引き寄せられていった。つまり、政権をとった社会民主主義者は、銀行を規制の足枷から解放し、代わりにわずかなおこぼれをもらい、それを福祉国家の足しにすることで手をうった。そして、既に述べてきたように、2008年の金融危機において、金融緩和によって銀行を救った。しかし、産業の空洞化が進み、クラウド領主の登場となった。註:このあたりの経済状態の破綻が、第一次トランプ政権の誕生の土台となった。
ブロックチェーンと仮想通貨
ルネッサンス時代の哲学者トマソ・カンパネッラのユートピア小説「太陽の都」には、政治権力持つのは職人や労働者であって、それに寄生する封建階級であってはならない、と書かれている。しかし、いまの現実の政治経済は、政府権力、ウォール街、ディープ・ステート、そしてクラウド領主などの支配下にあり、物を生産する労働者(考え方によっては資本家も)はこき使われるだけの存在となっている。現代の暗号技術の熱心な信奉者たちの中に、ブロックチェーンのアルゴリズムによって、この体制を崩すことができるとする考えが生まれた。サトシ・ナカモトは、2008年、インターネットによる商取引がすべて金融機関に頼るようになった現状を変革すべく、人々が金融機関を迂回して、オンラインでお互いに取引できるようなアルゴリズムを提示した。人々がこの地上にあるあらゆる金融機関を迂回して、オンラインでお互いに取引できるシステムである。ナカモト論文が予言した仮想通貨の取引を、少し長いが、著者の記述を引用する。
あなたはコンピュータの前に座っている。あなたの身分を証明するのに、銀行口座もクレジットカードも社会保険番号も、メールアドレスさえもいらない。前もって自動暗号化の手順によって生成した、ランダムな文字や数字や記号が並ぶ、あなただけのキーがあればそれでいい。この個人キー(住所、銀行口座と社会保障番号が一体化されたもの、要するにマイナンバーカード)さえあれば、支払いも、募金も、オンラインのアンケートに答えることも、国民投票もできる。これはひと続きの記号としてあなたのコンピュータの中にだけ存在し、その記号はあなただけが知っている。そして、あなたがそれを使って取引を行った瞬間に、世界中の人々が所有するコンピュータのネットワークに、その取引が伝えられる。取引の成立は、あなたがそれを所有していて、一度使うと再び同じお金はつかえないことが承認され、記録されねばならない。その承認は、金融機関でなく、あなたのような人々のコンピュータによって、自動的に行われる。ネットワークを構成するコンピュータの中で、取引承認の競争が行われ、それに勝ったコンピュータにあなたの取引が「ブロック」として付け加え、記録される。これらの取引の記録の鎖が「ブロックチェーン」と呼ばれる。ブロックチェーンを使った取引は、だれも中抜きせず、民主主義の実践のように思える。
2008年の仮想通貨の誕生は、資本主義金融がその傲慢さから危機に瀕しているときに、代わりになるシステムを探していた幅広い層の人々の心を掴んだ。ビットコインの登場である。熱烈なリバタリアン、「ウォール街を占拠せよ」運動にかかわった人々、いわゆるサイファーパンクとよばれるプライバシーの侵害を一番に心配してきたプログラマーのグループなどが、関心をよせた。しかし、すぐに仲間割れが始まった。仮想通貨が極めて大きな通貨市場になってしまった。ブロックチェーン技術のエキスパートは独自の「コイン」を発行し、お互いの通貨の価値(いくらのドルになるか)を競争するようになった。2017年には、1ビットコインが2万ドルを超えた。ビットコインは発行上限が2,100万枚と決まっているので、物を買うなどの目的でなく、投資の対象になってしまった。こうなると、ウォール街と巨大テック企業が手を組んで、コンソーム型のブロックチェーンを運営し、金融サービスの支配力を強めてきた。こうなると、仮想通貨はクラウド金融の手段となってしまった。残念ながら、テクノ封建制への反逆の手段としては、仮想通貨は有効性を発揮できなかった。しかし、付記すれば、ブロックチェーン技術は行政サービスなどに有効に使われている(日本では、マイナンバーカードと組み合わせることなどで)。
理想社会への道
自信満々で想像力にも長けたカール・マルクスでさえ、資本主義に取って代わると予言して待ち望んでいた社会主義あるいは共産主義について、明快なありようを描くことはできなかった。それは机を前に仕事をするインテリではなく、集団として利益を追求するプロレタリアートこそ、社会主義を築き、そのありようを決めるべきである、というマルクス自身の考えからであった。しかし、ボトムアップで描かれた社会主義の青写真の例はいまだない。さらに、著者の政敵(著者は元ギリシャの財務大臣で、政敵とはアイルランドの財務大臣)だった人物から投げかけられた批判がある。すなわち、「本物の民主主義を創造し、テクノロジーと生産主眼を集団で所有しようとするよびかけは、彼(著者のこと)自身が求める起業家精神や個人の自主性とは両立しがたい」と。著者自身、この批判の正しさを認めている。集団で企業をどう運営するか、また通貨をどう発行するか、などについて、アイデアを考え付いても、ことごとく自分自身の反論によってつぶすはめになった。
そこで、著者は、そこにどうやって到達するか、という問題は抜きにして、「理想の社会」を描いてみた。ただ、この「理想の社会」には、僕は違和感を感じており、一呼吸おいて続けたい。
(今回はここまでにする)。