2025年7月8日 投稿
第4部 第1章 世界資本主義の段階と反復
3.1990年以後
いよいよ現代に入ってきた。1990年以後は、ソ連の崩壊により、アメリカの圧倒的優位の下に、資本主義のグローバリゼーションが進行した時代である。これは新自由主義ともよばれる。アメリカは19世紀の大英帝国の自由主義時代を再現するものと目された。しかし、1990年代以後の時代は「自由主義的」ではなく、「帝国主義的」の再来というべきである。この時期は、前代のヘゲモニー国家が衰退し、かつ、それに代わるものが存在せず、複数の国家が次のヘゲモニーをめぐって争う段階と見なせる。
米ソの冷戦下では、ヘゲモニー国家アメリカは、開かれた市場を使って先進資本主義国家を助けた。その結果、日本とドイツの成長が製造部門でアメリカに追いつきはじめた(この時期の世界商品であった耐久消費材特に自動車と電気製品の生産)。アメリカのヘゲモニーの没落を示したのは、1971年のドルの金兌換制度の停止である。しかし、このときアメリカは製造部門で没落しても、金融部門や商業部門(石油、穀物、エネルギー資源など)では、いぜんとしてヘゲモニーを握っていた。さらに、軍事的に圧倒的な優位を維持している。しかし、全体としてアメリカがヘゲモニー国家であることは、揺らぎ始めている。これと並行して、アメリカはもはや「自由主義的」でなくなっている。ウォーラーステインは、ヘゲモニー国家においては、過去のオランダやイギリスのときにそうであったように、国内での社会福祉が充実していた。冷戦時代にアメリカは、国内の労働者の保護や社会福祉政策を推進していた。
アメリカが「自由主義」を棄てるようになったのは、1980年代である。それは、社会福祉を削減し、資本への税や規制を削減するレーガン主義に象徴される。これは、「新自由主義」とよばれている。この時期は、製造部門におけるアメリカのヘゲモニーは失われていた。1990年以降、ソ連圏の解体と共に、資本主義国家間のヘゲモニー争いは全面化した(グローバリゼーションと言われる)。
レーニンは、帝国主義段階を歴史的に特徴づけることとして、「資本の輸出」を指摘している。つまり、資本は国内市場が飽和して、もはや自己増殖できなくなると、必然的に海外に市場をもとめることになる。海外に出た資本を守るために、列強各国は軍事的に進出することになった。「資本の輸出」は国内政治の大転換をもたらした。すなわち、自国の労働者の職や福祉を切り捨てることになった。イギリスでは、1870年以降、この傾向が明らかとなった。ハンナ・アーレントによれば、帝国主義によって、ブルジョアジーは政治的に開放されたと論じた。それまで、ブルジョアジーは社会の支配階級となったが、しかし社会を統治することはしなかった。帝国主義は、ブルジョアジーのこの軛を取り払ったのである。ブルジョアジーが政治的に開放されたというのは、資本がネーションの制約から解放されたということである。同時に、国家もネーションへの配慮から解放されたのである。つまり、国際競争のためには、人々の生活は犠牲にされてもやむおえないこととされた。ここまでくると、帝国主義と新自由主義が類似することに気づく。ここでは引用されていないが、レーガンやサッチャーによる政治は、この流れの中心をなしている。
資本がネーションを犠牲にして成立した帝国主義は、第一次世界大戦以後、そのままでは通用しなくなった。ロシアでは社会主義革命が起こり、それが世界各地に飛び火した。これを抑えるために、他の帝国主義国家において、「対抗革命」が生まれた。イタリア、ドイツ、日本に生じたファシズム(ナショナル社会主義)が、ネーションによって資本と国家を超えるという革命である。他方、アメリカとイギリスでは、自国が本質的には帝国主義であるにもかかわらず、社会民主主義あるいは福祉国家資本主義の看板を掲げた。第二次世界大戦は、ファシズムと、福祉資本主義帝国と社会主義の連合が対決したのである。
1990年以後の「新自由主義」の時代が、1870年以後の「帝国主義」の時代と類似するもう一つの点は、1870年代に旧世界帝国(ロシア、清朝、ムガール、オスマン)が、西洋列強の帝国主義によって追い詰められながらもまだ生き延びていたように、1990年代に、それらが新たな「帝国」として復活してきたことである。この点については後述する。