2025年6月14日
第四部 現在と未来
第一章 世界資本主義の段階と反復
1.資本主義の歴史的段階
マルクスは「資本論」で、国家をカッコに入れている(上部構造だから軽視した?)。彼は資本の収益が、利潤、地代、労賃の三つに分配されること、そしてそれらが3大階級を形成することを指摘した。これはリカードの見方を受け継ぐものだが、リカードが税を重視するのに対して、マルクスは税を捨象している。彼は国家を、あるいは軍・官僚という「階級」を捨象した。マルクスは、当時のイギリスをモデルにして資本主義の発展をみていたが、彼のターゲットはあくまで世界資本主義であった。しかし、当然のことながら、各国の経済と「資本論」との間に、大きなズレが見出された。自由主義的な経済政策をとったイギリスにおいても、国家の存在は資本主義にとって不可欠であった。特に、現実の経済と「資本論」のズレが際立ったのが、帝国主義時代であった。帝国主義は、資本主義経済から生じる問題である都同時に、国家が単なる上部構造としてではなく、能動的な主体としてかかわってくる。
このような、「資本論」と現実の政治経済のズレは、マルクス主義者を悩ませた。中には、「資本論」を歴史的仕事として過去のものとする者まで出てきた。柄谷が注目するのは、このズレを解決しようとした宇野弘蔵である。彼は、商品交換が貫徹された場合に資本制経済がどのように働くかを理論的に考察したものだと考えた(多くの他の要素はカッコにいれて)。「資本論」を純粋資本主義を扱ったものとした。その一方で、様々な要素をふくんだ現実の社会構成体においては、国家が経済に関与するので、それが「経済政策」として現れる、とした。宇野の言う「段階」は、重商主義、自由主義、帝国主義である。宇野は、第一次世界大戦とロシア革命以後の段階を帝国主義とは異質のものと考えた。それは、国家が、社会主義的あるいはケインズ的な経済政策をとるに至った段階である。それは、後期資本主義、フォーディズム、あるは福祉国家資本主義とも言う。
柄谷は、こうした諸段階は、それぞれ「世界商品」というべき基軸商品によって特徴づけられるという。重商主義段階では羊毛工業、自由主義段階では綿工業、帝国主義段階では重工業、後期資本主義段階は耐久消費財(車と電気製品)である。後期資本主義段階は、1980年代から進行してきた新段階、ここではいわば「情報」が世界商品となってきた。こうした見方を、マルクス主義者は「経済的下部構造が政治文化的上部構造をつくる」と言う。すなわち、商人資本は国家の保護を必要とするので、重商主義政策をとり、産業資本はそれを必要としないので、自由主義政策をとる。帝国主義の段階では、海外への資本の輸出が生じるので、国家の軍事的介入が政策となる。政治的性政策は経済的要因によって規定される。宇野の段階論的把握では、資本主義の発展段階を国家の経済政策のレベルで見ようとした。「資本論」が扱う「純粋資本主義」の原理はそのままにして、国家を資本とは別の能動的な主体としてみた。国家はたんに資本主義経済の変化によって規定されてきたのではない。
歴史家ウオーラ―ステインは、重商主義、自由主義、帝国主義などを、近代世界システム(世界資本主義)におけるヘゲモニーの問題としてとらえた。つまり、国家を能動的な主体としてとらえたのである。彼の考えによると、自由主義とはヘゲモニー国家がとる政策である。彼は、近代の世界経済の中で、ヘゲモニー国家に当たるのは、三つしかない。オランダ、イギリス、そしてアメリカ合衆国である。16世紀後半から17世紀半ばまで、オランダはヘゲモニー国家として自由主義的であった(イギリスは重商主義国家として保護主義的政策をとっていた)。オランダは絶対王政でなく共和制であり、イギリスよりはるかに自由であった。例えば、アムステルダムにはデカルトやロックが亡命し、スピノザが安住できた。イギリスがヘゲモニー国家となった19世紀に、ロンドンにマルクスが亡命していたのに相似する。ウオーラ―ステインによると、ヘゲモニー国家は、農=工業における生産効率の点で圧倒的優位に立った結果、世界商業の面で優越できた。こうなると、世界商業のセンターとしての利益と、「見えない商品」、つまり、運輸、通信、保険などを抑えて貿易外収益の両方を得ることができた。さらに、こうした商業上の覇権は、金融部門(為替、預金、信用)の支配権を得た。しかし、すべての面でヘゲモニーを維持することはできない。そこで、交替が起きる。本書では、細かく論じているが、ここではふれない。その歴史的諸段階を表にしたものを引用しておく(表1)。
