2025年4月3日 投稿
「魔の山」(下)
セテンブリーニとナフタ
カーニバルの晩に、ハンスとセテムブリーニは大した理由もなく仲違いし、しばらく顔を合わせていなかった。そうして、復活祭が「ベルクホーフ」で祝われたとき、一回目の朝食には、それぞれの席に、スミレの花束が置かれてあり、二回目の朝食にはだれも彩色をした卵をもらい、昼食の食卓には砂糖をチョコレートでつくられたかわいい兎でかざられていた。この食後、ハンスとヨーアヒムとセテンブリーニの話が再開された。イタリア人は、ハンスに「私はここを出ます」と伝えた。治る見込みのないセテンブリーニは、村の商店の二階の部屋に移るという。はなやかな花の咲き乱れる道の散策の途中、セテンブリーニが一人の紳士と話をしているのに出会った。そのやせた小さな紳士がユダヤ人ナフタであった。彼もセテンブリーニと同じ建物に住んでいるという。セテンブリーニは「若きトルコの運動が、民主的革命運動の準備を完了しようとしているという情報」(P67)を信じるような自由と革新を標ぼうする人物で(ただし、トルコ革命はこのときから5年も後のことになるが)、一方のナフタは「プロレタリア階級の任務は、世界救済のために、救済の目標のために、国家も階級もない神の子の状態を再現させるために、テロルを巻き起こす」(P106)と論ずるような人物で、イエズス会士だという。二人の議論には、レッテル貼りが多く、お互いなんのために議論しているのかが、僕にはわからない。ただ、トーマス・マンも目的なしの議論をする二人を描きたかったのだと思われる。
ヨーアヒム山を下りる
ハンスとヨーアヒムの関係は、本書の基調をなすものだが、顧問官ベーレンス医師の反対を押し切って、ヨーアヒムが山を下りることが、このテーマの一つの区切りであり、ワルプルギスの夜を除いて、一緒に過ごしてきた二人の「魔の山」での生活は終わる(終わったはずであった)。秋口に、山を下りて軍隊に戻ったヨーアヒムは、春には少尉に昇任し、はなばなしい軍隊生活を送っていた。ところが、7月に入って、彼は完治していなかった結核を悪化させ、山に戻ってきた。ヨーアヒムは目的のない「魔の山」の生活に耐えきれずに、山を下りたものの、目的のある生活に乗れなかったのである。そして、彼は急性の咽頭結核で死んだ。ヨーアヒムが「目的のある生活」をあわただしく志向したのは、第一次世界大戦前の社会を覆っていた不安のようなものが作用していたのかもしれない(セテンブリーニは違った考えを持っていたようだが。P66)。ヨーアヒムとの別れは、ハンスの心の中に本人もはっきりと分からない思いを残した。
ハンス雪山で遭難しかけた
そうして、二度目の冬を迎えた。ハンスは「雪で荒涼とした山と、もっと親密に自由に接触したいというねがい」(P222)をもっていた。彼はスポーツマンではなかったが、スキーを始め、雪山を滑ることができるようになった。そして、一人でしか入り込めない世界に踏み込むことができた。雪嵐の中、松の茂みの乾草小屋を通り過ぎて、さらに山腹を下ったり、回り込んだりしてたっぷり1時間進んだ。そして、吹雪を避けることのできそうな小屋を見つけた。しかし、それはさっき通り過ぎた乾草小屋だった。小屋には鍵がかかっていたので、軒下で休息することにした。ポケットに入れてきたポートワインの小瓶から一口飲み、暖をとろうとした。それが悪酔いをよび、ハンスはうずくまった。彼の現前は南国の海辺(故郷ハンブルグの砂丘からの連想らしい)で、あらゆるところに「太陽と海の子ら」が動き回っていた。しかし、一人の少年の目が美しいいたわりの表情を失い、死んだようなつめたさになっているのに驚愕し、見回すと石材の神殿がそびえていた。そこをたどると、醜悪な老婆が嬰児の腹を裂いて肉を食べるという情景に驚嘆し、逃げ出そうとして、夢から覚めた。そして彼は考えた。今見たすごく美しい、すごくおそろしい情景も、すべて自分がもっていたものだ。それは、彼がナフタとセテンブリーニと一緒にこの危険きわまる山々を歩きまわって身につけたもので、さらにクラウディアによって「血と肉」を味わったのだ。「死と病気とへの興味は、生への興味の一形態にほかならない」、と考えた。さらに本文の記述にしたがえば、「僕は魂の内部で太陽の子(夢で見た)らと考えを分かち、ナフタの考えにはそまらないようにしよう、――しかし、また、セテンブリーニの考えにも染まるまい。二人とも饒舌家にすぎないのだ」。雪の嵐は去り、水色の空がのぞいている白銀の斜面をハンスはまっしぐらに滑走して谷間の街を抜け、「村」にたどり着いた。この経験は大変なもののようだが、ハンスは夕食をすごい食欲で平らげ、眠ると、雪の中で考えたことは、「その晩のうちにもうはっきりとのみこめなくなっていた(P266)」。この心に残らなかった、というのが意味深長である。
再びセテンブリーニとナフタ
ハンスは、セテンブリーニがフリーメイスン団員であることを、ナフタから知らされた。世紀末の理性偏重と人道的啓蒙主義と明晰主義にあきた人々が、もっと強い目標に飢えていた人々のすべてをフリーメイスンは引き付けた(P287)、という。そのころのフリーメイスンには、東洋の密教に関係する非合理的要素をもっていた。このころがフリーメイスンの全盛期であった。しかし、セテンブリーニ的な団員によって、非合理性が剝取られてしまった、という。しかし、ナフタはハンスに警告した。「彼は改宗者募集人、魂を狙う漁師です」(P293)と。ハンスは、これらのことを、ためらいもなく、セテンブリーニ本人に話した。彼は例のごとく、「王者の術」(註:ChatGptによれば、「王者の術」は、単なる技術や知識ではなく、自己啓発・精神的成長・道徳的向上を意味するフリーメーソンの象徴的概念です。錬金術や建築術のメタファーを通じて、人間がより高次の存在へと進化する過程を示していると考えられます。)に話がおよんだときを除いて、雄弁をふるってその活動について語った。なぜ、「王者の術」について、セテンブリーニが論じなかったのは、ナフタが言う、テロリズム的宣誓を含むからだと、ハンスは推測した。
セテンブリーニとナフタの論争は、ヨーアヒムが山に戻ってきてからも続いたが、あるとき、ハンスはヨーアヒムの眼の不思議な光に気づいた。喉が痛み、声がしゃがれ、食事でむせたりすることが、ヨーアヒムに起きていた。ハンスは、ベーレンス医師から、彼が咽頭結核であることを知らされた。そして、彼は静かに死んで行った。
ハンスとショーシャ夫人の再会(あるいはペーペルコルンの登場)
ハンス・カストルプとクラウディア・ショーシャ夫人の関係は、この物語の一つの軸(脇筋だが)をなしている。ハンスは療養所に来て、すぐに食事のときに、ドアを「ガランガチャン」と荒々しく閉めて一流ロシア人のテーブルに向かった彼女を認めた。彼は一目でショーシャ夫人に魅かれた。上巻に書かれているように、ハンスはクラウディアへの想いを、ワルプルギスの夜に直接打ち明け、その夜、夫人の部屋に忍んで行く許可を得た。しかし、夫人はなにごともなかったように、山を下りた。そして、彼女は再び療養所に現れた。ジャバでコーヒー園をやっている中年のオランダ人ペーペルコルンを同伴して。彼はマラリアに罹患していて、間隔をおいて繰り返し高熱に悩まされる。文庫本では、140ページを割いて、ペーペルコルンについて書いてあるが、僕は彼についての記述は面白いと思わないので、このノートの記述は最小限に留める(そうもいかなかったが)。彼はその立ち居振る舞いから、座を取り仕切ることになるが、内容のある話はまったくしない(作者は、彼を「王者的な尻切れトンボの人物」(P413)と書いている)。療養所の仲間を集めて、トランプ(ゲーム21)をやり、夜中の2時まで、シャンパン宴を繰り広げた。その後、寝込んでしまった。クラウディアとハンスは、彼のことをいろいろと話をしたが、そのとき、成り行きでロシア風の口づけをした(何度もするらしい)。さて、5月になり、皆で瀑布を観に出かけることになった。音頭取りは、もちろんペーペルコルンであった。滝の飛沫のかかる場所で、ワインと軽食をとった。彼の乾杯の言葉はまったく聞き取れなかったが、顔には苦悩とみだらがましい表情が見てとれた。その夜、ペーペルコルンは毒蛇の歯を模倣した注射器で毒を体内に入れ、自殺してしまった。彼が自殺した理由は、クラウディアは「彼ハ棄権シタノデス」と言い、「彼はわたしたちの『おいた』を知っていたのでしょうか?」とハンスに問うた。ハンスは、彼がハンスにクラウディアに接吻するようにと注文したのに、ハンスが拒否したことから、二人の関係(これがハンスと彼女では認識が違ったはず)を察したのです、と答えた。そして、いまその注文を叶えたいとして、彼女の額に接吻した。そして、彼女は山を下りて行った。初めの頃の勢いだったら、ハンスは傷心するはずだが、別にそうした記述もない。ただ、後に霊媒が出てくるとき、クラウディアのレントゲン写真が置いたはずのないところに見出した、というそれだけの話が出てきた。
終章へ向かって
社会での混乱(これに関する記述はまったくない)をよそに、療養所ベルクホーフの生活は、耐えることなく続いた。写真や切手収集、チョコレートに凝ったりしていたが、ハンスにとっては、どれも「時間を忘れた生活、屈託も希望もない生活、外見は多忙そうで内部は沈滞している放縦な生活、死んでいる時間」(P498)であった。大きな談話室に、「これまでの単純な娯楽品などは、品位、階級、価値の点で足元へもよれないような高級品」(P512)の蓄音機が供えられた。オッフェンバックの序曲に始まり、多くの歌曲や室内楽が一同を虜にした。なりゆきで、ハンスが蓄音機の世話係になった。彼は皆が寝静まった夜中に、エボナイトの円盤を次々に試した。無感動のようなハンスだが、深夜に一人で聴いた、「アイーダ」の最後、土牢の底でアイーダとラメダスが歌う二重唱「さらばこの世よ涙の谷よ」には心惹かれた。土牢の中で生き埋めにされた二人の醜悪な死とその浄化は、ハンスの夢の世界だった。シューベルトの「菩提樹の歌」は、彼が愛した曲だった。この曲の背景にある世界は、彼の「良心の予感」によれば(P538)、禁断の愛情の世界であり、また「死の世界」であった。
代診のクロコフスキー博士は、食堂で「精神分析」、とりわけ、人間の魂のうちで潜在意識と呼ばれる暗い広範囲な領域についての講演を何回かしていた。そこで触れていたようなことが、療養所で実際に起こった。亜麻色の髪のデンマークの娘エレン・ブラントは清らかな処女らしい雰囲気をまとった愛らしい普通の娘だが、室内遊戯、特にものを隠し手探す遊びなどで、超能力を発揮した。何人かが集まって、いわゆる「こっくりさん」をすることになった。そして、ホルゲルという霊を呼び出した。エレンは椅子に腰かけたまま、青いうつろな子供のような眼差しで、斜め上を見ていた。周囲の人たちが声をかけても、彼女はなんの反応も示さなかった。ホルゲルは様々なしぐさをして、誌を作ったりした。クロコフスキーは自身の実験室で、何人かの参加者を集めて、エレンを材料にして実験を重ねた。この会合にハンスは参加を勧められたが断っていた。しかし、あることを思い、参加することになった。そして、呼び出された霊ホルゲルに対し、ハンスは「僕は亡くなった従兄のヨーアヒム・チームセンを見たい」と頼んだ。現れたヨーアヒムは鉄兜に野戦服で、組み合わせた両脚の腿にサーベルを立てかけていた。ハンスはこの訪問客を凝視し、気も顛倒しすすり泣き、「かんにんして!」と声をのんでささやいた。クロコフスキーは、ハンスに「話しかけなさい」と指示した。しかし、ハンスは拒んで、ドアの階段にところに行き、電灯のスイッチをひねり、煌々と明かりをつけた。訪問客の姿は消えていた。
この「かんにんして!」という言葉の意味を、「100分de名著」で、小黒康正(九大教授・ドイツ文学)は目的をもって人生に殉じた従兄に対し、ただ山で怠惰な生活を送っているハンスの謝罪が一つ。もう一つは、かつてマンが賛美した第一次世界大戦によって、多くのドイツの若者が命を落としたことへの、謝罪でもある、としている。「魔の山」を一種のレクイエム小説と見た。しかし、せっかく呼び出したヨーアヒムの霊に対するのを、自ら拒否したのはなぜか。謝罪で終わらせたくない、という姿勢がみられると思う。
決闘
山の上の療養所にも、下界の政治的社会的混乱が影をさすようになってきた(1914年の第一次世界大戦直前)。いらついた雰囲気がサナトリウムを覆っている中で、2月のある日の午後、ハンスらは2台の橇で1時間半程度の宿に出かけた。そこの快適な食堂で梨パンや白パンを食べた。ただ、会話は快適ではなく、セテンブリーニとナフタの議論は激高し、ついに決闘する約束に至った。ハンスはセテンブリーニの介添人を志願したが、反対があり立会人として臨むことになった。ピストルはだれも持っていなかったので、患者仲間のアルビンさんから借りることになった。橇の小旅行の翌朝、決闘は行われた。セテンブリーニは3発の銃弾を空に向けて発射した。次は、ナフタの番だ。「卑怯者!」とナフタは叫んだ。ナフタは、「撃つ者が撃たれる者よりも勇気を必要とする人情を肯定したのであった」(P631)。彼は弾を自分の頭に撃ちこんだ。あまり感動をよばない終わり方だと、僕は思った。
最終章:晴天の霹靂
ハンス・カストルプは山の上の世界に7年間とどまった。ハンスは5歳の時母親を、7歳のとき父親を亡くした。ひきとった祖父も死に、少年の法定後見人であったティーナッベル領事が引き取ってハンスを育てた。この老領事がこの頃、永眠した。この死によって、ハンスは平地の世界とのつながりが切れてしまったことになった。彼がこの地を訪れた真夏がまたやってきた。彼が寝椅子に横たわっているとき、天地がとどろき、霹靂がとどろきわたったのである。地上のあらゆる屋台骨を震撼させ、魔の山を吹き飛ばし、「七年間の眠り聖者ハンス・カストルプを手荒く放り出した霹靂であった(P636)」。つまり、第一次世界大戦が始まったのであった。最後まで、イタリア人セテンブリーニはハンスの仲間であったが、ハンスは山を下り分れることになった。ロ土ヴィゴ(セテンブリーニ)は、「君はこれから祖国の兄弟たちとともに戦うでしょう」(P643)と言った。ハンスは、車窓に鈴なりになっている頭の間から顔をだし、別れの手をふった。
この小説も後6ページほどで終わりになるが、ここで一気に狂乱の戦場が描かれている。ハンスは志願兵の一人として、剣つき鉄砲を握りしめ、泥靴をひきずりながら走っている。ただ、彼は「菩提樹の歌」を苦しい息の中で歌っていた。前方で、二人の友人が炸裂弾によって跳ね上げられ、消えてしまった。彼は、「びっこをひきひき蹌踉と歩き始めた。『枝はーそよーぎぬ、いざーなうごとくー』と無意識にうたった。そして、彼は混乱の中へ、雨の中へ、たそがれのなかへ、私たちの目から消えて行った(P648)」。最後に、この物語の語り手は言う。「世界の死の乱舞のなかからも、まわりの雨まじりの夕空を焦がしている陰惨なヒステリックな焔のなかからも、いつか愛が誕生するだろうか?」(この小説のending)。
あっけなく終わってしまったようだが、この余韻のようなものが、この小説の本当の価値になっていると思う。それは、トーマス・マンが、当時の現実の政治と社会にどうかかわったか、ということ密接に関係している。