2025年2月20日 投稿

第4章 アソシエーショニズム

4.労働組合と共同組合

流通過程において資本主義に対抗しようとするプルードンの考えを、マルクスは批判した。産業資本主義の核心は生産過程にあるから、プロレタリアの資本に対する闘争は生産過程に向けられなければならない。これは、いまのマルクス主義にも残っている考え方である。しかし、プルードンの時代のフランスにおいては、いわゆる産業プロレタリアートはほとんど存在せず、没落しつつある職人や小生産者が生産に従事していた。そこで、これらの生産従事者による共同組合的な生産とそのための金融システムを重視したのである。

 一方、産業資本の発達したイギリスでは、生産過程を担う労働者がプロレタリアートとして労働組合に組織され、闘争をおこなった。イギリスにおける社会運動は理論的に、「生産過程」に焦点をあてた古典経済学、すなわち、リカードの理論に根ざしていた。リカード派の社会主義者は、企業の全利潤が生産手段のでなく、労働に従事した者に対し分配されるべきである、と考えた。リカードの考えによれば、機械の応用、工場への自然科学の導入、労働用具の集中、安い食料(原料)の輸入などは、どれも労働の交換価値を低下させる、マルクスが言う「相対的剰余価値」の問題とした。ただ、リカードは、労働者の労働を結合(combine)させたのは資本家であるから、それによって生じる剰余分は資本家にゆくべきであると、考えた。リカード社会主義者は、すべての剰余分も労働者が得るべきである、としていた。(註:そうすると、資本家にとってのインセンティブは、なにが残るか?なにも残らないとすると、資本主義的生産は成立しなくなる。歴史は、社会主義国家の生産の衰退を既に示してきた。)

 そこで、労働者は団結して不払い労賃を資本家に要求する闘争が起こった。これらの要求は個々の資本にとってはマイナスなので、闘争は弾圧された。しかし、チャーチスト運動(選挙と労働条件の闘争)が頂点に達した1848年以後、弾圧は収束した。それは、労働時間の短縮や賃金上昇、福祉政策などは、総合的にみて資本の利益にもなるとする考えが強くなり、資本は闘争の要求を受け入れるようになった。ここに、産業資本主義の骨格ができあがった。マルクスは、どの資本家も自分の労働者は自己の会社の消費者でないので、労働者の交換能力(購買力)を低くしたいと考える。しかし他方で、他の資本の労働者は自己の商品のできるだけ大きな消費者であることを望んでいる、と述べている。それゆえ、賃金を上げ福祉を向上させることは、個別資本にとっては損失であるが、総資本にとっては好ましいことである。この考え方は、産業資本主義が発達してくると、より強くなり、また逆にこの考えは、産業資本主義の発達の基礎作りに寄与した。この過程で、労働者階級の多くが貧困者の殻を脱ぎ捨てて中産階級的な消費者として生まれ変わった。同時に、運動は非政治的になり、スチュアート・ミルに代表されるような社会民主的なものとなった。

 マルクスは、資本主義を生産過程から考えた古典経済学者に対し、それを流通過程から考えようとした。すなわち、資本を商人資本(M-C-M’)から考えた。資本産業は労働者から労働力商品を買って、彼らに労働させ、その生産物を彼らに買わせる、その差額によって剰余価値を得るのである。では、消費者たる労働者は資本に対しどのように対抗できるか。

 リカード左派の「労働全収権論」から資本に対する二つ運動が出た。一つが労働組合であり、もう一つが協同組合である。労働組合は資本制経済の内部での資本との闘争であるが、共同組合は資本制の外に超出する、すなわち「流通過程」を中心とする運動である。共同組合は代替紙幣や信用銀行も含まれる(プルードンの企てと共通する)。この二つの運動は切り離せない。現実に、共同組合の創設者ロバート・オーウェンはイギリス全国労働組合連合会を結成した人でもある。共同組合は、日用品の共同購入から始まり、徐々に共同性の範囲を広げて行くという戦略をとった。つまり、流通過程から始めたのであった。

 共同組合は、①加入自由、②一人一票の民主的運営、③出資金への配当の制限、④剰余金の組合員への組合利用高に応じた分配、などいわゆる「ロッチデール原則」に基づいて設立された。マルクスは、この共同組合を特別に重視していた。それは、労働力商品の揚棄するものだからである。そこには賃労働は存在しない。労働者自身が経営者だからだ。マルクスは書いた、「この共同組合工場の内部では、資本と労働の対立は止揚されている」と。前に論じた、貨幣―商品という関係に基づく支配―被支配という関係は存在しない。交換様式Dの実現とみてよい。

 このように、共同組合は資本主義経済を揚棄するヒントを示したが、マルクスは共同組合が資本制企業にとってかわることはありえない、と考えた。共同組合工場は、資本制株式会社に比して、あまりにも非力小規模であったからである。現実に1860年以降、産業の重工業への移行とともに、共同組合は衰退してしまった。それゆえ、全国の生産を調製し、自己の統制下のもとにおく共同組合の連合体(associated co-operative society)が作れれば、それはまさに共産主義になる、と述べた。マルクスは、ラッサール(全ドイツ労働者同盟創設者)の「国家社会主義」を絶対的に拒否し、国家によって協同組合を育成するのでなく、共同組合のアソシエーションが国家にとってかわるべきだと、主張した。とはいえ、法的規制など、国家による支援がなければ、生産者共同組合が資本制企業に負けることは避けられない。そのためには、プロレタリア―ドが国家権力を握ることが不可欠だとした。

 註:この国家の捉え方は、あまりに便宜的すぎるように思う。柄谷もどこかで書いていたが、社会主義国家の腐敗と非民主化は、これでは避けられそうもない。