240823投稿

7月1日のブログで、紹介すると書いた論文です。

論文:The Genomic History of the Bronze Age Southern Levant

Agranat-Tamir, L., et al. Cell 181: 1146 (2020)

かつて、カナンの地にはカナン民族(ZagrosおよびCaucasus地方の祖先由来)が住んでおり、独特の文化(農業、漁業、交易など)を築いていた(BCE1200頃まで)。旧約聖書の記述によれば、カナン民族はエジプトを追われたイスラエル民族によって完全に滅ぼされた、とされる。カナンの遺跡調査は、本論文の責任著者の一人でもある、Israel Finkelstein (Tel Aviv University) らによって行われ、青銅器時代(3500BCE~1150BCE)の墓の発見と遺物や遺骨が収集された。それらの中に、Southern Levant地方の5つの考古学的調査地点から得られた73人の遺骨(71が青銅器時代、2が鉄器時代)があった。構成は、Tel Megiddoからの35人、Baq’ahの21人などである。

 DNAの研究は、Liran Carmel(Hebrew University of Jerusalem、責任著者の一人)とDavid Reich(Harvard Medical School、責任著者の一人)らのグループが行った。発掘した個体の錐体骨からDNAを抽出し、Reichのグループが開発した手法によって、double-indexed half Uracil-DNA glycosylase (UDG)-treated librariesを作製した。約120万のSNPsを関連解析によって対象DNAをenrichした(無関係なDNAを除くため)。データは中央値288,863 (coverage range 4,883-945,269) のautosomal SNPsであった。これに加えて、従来報告されていた、青銅器時代のSouthern Levantの13個体、鉄器時代の7個体のデータを含めて解析した。現代の西ユーラシア人777個体の600,000 SNPsに基づく遺伝データの主成分分析によって、最初の2つの主成分で表現される平面を作成しそこに今回のautosomal dataを投影した。ここでは、30,000以上のSNPsデータを使い、ノイズに影響されない68個体のPCAプロットを作成した(図1)。

図1.紹介論文より引用。A.検体の採取場所。B.主成分分析。C.系統の構成割合

 ほとんどすべての青銅器時代鉄器時代のLevantの個体(図1の青と緑の印)は強いクラスターをなしていた。例外は、図示した青〇3つと、従来から例外値として示されていた3△であった。さらに、1,663人の現代の個体と古代の個体のデータをADMIXTURE解析(集団構造解析の手法)したところ、PCAプロットの結果と同じく、例外の6個体を除いて、どれも同じ祖先をもつことが示された。Low coverage rangeおよび近い親族関係のある個体を除いた、62個体が以後の解析に使われた。

複数の遺跡の間に高度な親和性がある

Tel MegiddoのSNPs網羅率の高い26個体は、地理的位置、考古学的、および遺伝的主成分分析の結果から、Intermediate Bronze Age(ChatGPTによると、主にLevante地方で使われる用語で、おおよそ2200 BCE~2000BCEごろの時代。この時代、都市化が一時的に衰退し、地方の村や農業コミュニティが主流になった時期)の1体、Middle-to-Late Bronze Ageの22個体、鉄器時代の1体、外れ値の2体であった。これらのグループとその他のデータをこれまでに報告された結果(様々な時代や発掘場所)を比較した。

 Levantの青銅器時代鉄器時代の祖先集団の多様性を調べるためにqpWaveテストを利用した。qpWaveは2つの集団が共通の祖先集団由来(つまりclade)かどうかをテストする統計学的手法である。その結果(ブログ著者による註:この統計手法の内容はまったくわからない)、3つの外れ値を除くと、すべての青銅器時代鉄器時代のLevant groupsが対のcladesであることがわかった。

 続いて、より広域の集団との関連を考察するための統計解析がされているが、細部にわたるので省略する。

青銅期時代のSouthern Levantへのgene flow

これまでの二つの研究(文献は省略)によって、Ain Ghazal(ヨルダン)とSidon(レバノン南部)(図1A)の青銅器時代の個体は、より早期のLevant groupsとChalcolithic Zagros mountains(ザグロス山脈)の人の混ざり合ったものとしてモデル化されている。Ain GhazalおよびSidonの群は、新石器時代のLevant groupを祖先として56%と48%、それぞれ有している。Ashkelon(イスラエル南部)や他のグループも同様であった。例外は、Baq’ah(ヨルダン)の集団はこのモデルに適合しなかった。本研究では、Chalcolithic Zagros(銅器時代のイラン)の人々がもっとも先祖的に近いことを示したが、ZagrosとSouthern Levantの青銅器時代の文化的交流を示す考古学的証拠はない。むしろ、青銅器時代のCaucasus(より北に位置する)とSouthern Levantの関連が考古学的に示唆されている。前者のKura-Araxesと後者のKhirbet Kerakの遺跡(BCE3000ごろ)の共通文化性(特に陶器)は明快である。註:以下、Early Bronze AgeをEBAと略す。

 Gene flowがZagrosから直接ではなく、Caucasusを経由した可能性を検討するために、qpAdm(Reichらが開発した特定の集団の祖先に対する寄与割合を推定する手法)を適用した。イランChLをEBA Caucasus集団と入れ替えて実行したところ、モデルに適合することが分かった。結論として、Zagrosの祖先からSouthern Levantへのgene flowは、直接あるいはCaucasus経由で間接的に来た二つの可能性が示された。

 Southern Levantにおいて、Zagros関連祖先の混合の時期を調べるために、datasetに含まれる長期にわたる個々人のデータを利用した。qpAdmによる祖先系統推定を行うと、ほぼすべての個体が新石器時代のLevantと銅器時代のZagrosに関連するグループの混合モデルに一致した(例外が4個体あった)。収集したIntermediate Bronze Ageのもっとも古い個体群が示すように、gene flowはBCE2400以前に始まっていたことが示唆された。このことは、BCE3000にKura-Araxesの人々が、Southern Levantに対し、文化的ばかりでなく人的交流によって影響した、という考古学的仮説と両立する。

 例外的データを示したMegiddo遺跡の少数の個体について考察が述べてあるが、ここでは省略する。

 結論として、Caucasus or ZagrosからLevantへのgene flowはIntermediate Bronze Ageに起こっており、それが内陸部で、断続的あるいは持続的に続いていた、となる。

青銅期時代以後のLevantの人々の変化

青銅期時代以後のLevantの人々の変化を明らかにするために、様々な過去の時代の集団の混合体であるアラビア語を話す人々と、Levantに定住したユダヤ人をモデル化した。qpAdmによると、ほとんどすべてのLevant現代人と地中海集団は、サハラ砂漠以南のアフリカ地域の集団と関連があるが、古いLevantの集団にはその関連がない。この結果、qpAdmの主要なoutgroups(サハラ砂漠以南の地域と関係のない集団)が使えないので、この手法の有効性が失われた。そこで、著者たちは、LINADMIXという手法を開発した。この手法も、異なる祖先集団からの遺伝的寄与を解析し、その混合割合を推定するために設計されている。これと並行して、pseudo-haplotype ChromoPainter (PHCP)を適用した。PHCPはDNAセグメント間の類似性を比較し、遺伝的な混合パターンを明らかにする手法である。

 LINADMIXによると、現代の17集団のそれぞれを、以下の4起源集団の混合としてモデル化することができた。⑴ Megiddo中後期青銅器時代、⑵ Zagros and Caucasusの代表としてイランChL、⑶ 東アフリカ起源の代表として現代のソマリア人(この地域の古い住民の遺伝的データがないので)、⑷ 後期新石器時代から青銅器時代の古代ヨーロッパ人の例としてEurope_LNBAである。様々な解析手法を検討した結果、Levantの現在の集合は、青銅器時代のSouthern LevantとChalcolithic Zagrosを実質的な祖先系統とすることを示唆している。さらに多くの古代検体が集まれば、より詳細な来歴が描けるはずである。上述の⑶で、東アフリカ関連の構成要素は、エチオピアユダヤ人と北アフリカ関連構成体(モロッコとエジプト)で高くなっていた。予想されたことだが、上述⑷に関連して、イングランドおよびトスカーナの集団には、中東地域関連の要素は少なかった。比較的多くのアラビア語の集団にZagros関連要素をもつ祖先が認められることは、鉄器時代以後もZagros and Caucasusの集団からのgene flowが続いていたと考えられる。

ブログ著者の考察

この論文のはじめに、著者たちは、本研究は3つの事項を扱う、としている。

1.Canaanite material culture(カナン人の物質文明)といわれているsitesにどの程度genetic homologyがあるか?

2.Zagros and Caucasusの祖先から青銅器時代のSouthern Levantへの遺伝子の流れの時期、量、起源を、dataから読み解く。

3.それ以後、どのような遺伝子の流れがあったのか、推定する。

これらの3つの事項の一定の解明(および、これまでの研究)によって、カナン人新石器時代のLevant地方の先住民とカフカスCaucasus地方からの移住民の混血であり、カナン人の遺伝子は現代のユダヤ人とアラブ人の中にかなりの割合で残っていることが示された。カナン人の物質文明はユダヤ民族の移住によって滅び去ったが、カナン人の遺伝子は現代のユダヤ人とパレスチナ人の中に濃厚に残っていることが示された。

 この研究は、イスラエル人(ユダヤ人)の遺伝子がどのように流れたか、を見る上でも重要な知見を与えてくれる。カナン人の集団は完全に滅ぼされたが、その後、ユダヤ人が作り上げたヘブライ王国も、すぐに滅ぼされ、ユダヤ人はバビロン捕囚として奴隷にされてしまった。以来、世界をさまよったあげく(あるいは旧カナンの地に隠れ住んで)、ようやく、いまのイスラエル国が出来上がった。かつて、カナンの地にイスラエル王国ができたことは、旧約聖書に書かれているが、史実との対応は不完全である。例えば、モーゼが実在したかも、不明である。旧約聖書申命記7.3に「また彼らと婚姻をしてはならない。あなたの娘を彼のむすこに与えてはならない。かれの娘をあなたのむすこにめとってはならない」とあるが、実際には古代のカナン人イスラエル人は共同生活をしていたと考えられる(旧約聖書は、その傾向を禁止しようとしたのかもしれないが)。

 最後に:僕は、古代DNAの解析についてはまったくの素人なので、本ブログ内容には(本論文の内容から)欠落した部分があると思います。しかし、一応理解したと思ったところだけを書いたので、まちがって論文と逆のことは、書いていないと思います。自分の勉強のために苦労して書いたというところです。なお、ChatGPTには、いろいろとお世話になりました。